用水路

 その光景を見ていて「おもしろうてやがて悲しき鵜舟かな」と言う句が浮かんだ。
 今日玉野教会はミサの後、掃除の日だった。僕は室内の掃除ではあまり役に立たないので、最近はもっぱら外回りの掃除をすることにしている。この2年、ドッグランのお陰で草に関してはかなりの知見を得たから、それが大いに役に立ってくれている。従来は口だけ動かしていたが、今はようやく役に立てれるようになった。
 僕がフェンス周りの草を抜いていると、僕とほぼ同年配の男性が、フェンスと道路の間を流れている用水路に降りて、草を抜き始めた。用水路と言ってもほとんど水が流れているのを見たこともないから、もっぱら大雨のためのものかもしれない。幅は2メートル近くあり、深さもそのくらいあるのではないか。
 彼が抜いた草を、道路で待っている僕が熊手で集めるように、自然と分業が始まったのだが、20分くらいで目につく草をほとんど除去できた。
 彼は、両手を伸ばし、やっと届いた路面を掴むようにして少しだけ傾斜がついている用水路の壁を登ろうとした。すると意外と難しいみたいで、何度も足が滑り、しまいには手が痛くなったのか、路面を掴むのも難しくなった。最初僕は彼が面白半分に演じているのかと思って、「消防署に電話してレスキューを頼もうか?」と冗談を言っていたのだが、彼の苦笑いが次第に深刻な表情に代わっていったので、これは本当に上がって来れないんだと分かった。
 結局、教会に入るための小さな橋がかかっているところまで彼を誘導し、欄干の鉄パイプを掴んで上がってくるように促した。案の定それでやっと上がって来れたのだが、鉄パイプを掴んでからも、考えられないくらい、たった2メートルのコンクリートの急斜面を上がるのに苦戦した。
 これが70歳を過ぎた人間の現実なのだろう。どう見ても僕より肉体労働をしている分がっちりしている彼でさえ、苦戦したのだから、僕だって同じだろう。頭では簡単なことと彼自身は思って下りたのだから、肉体の衰えに愕然としたのではないか。その光景を見ただけで僕は愕然としたのだから。現実を思い知らされた本人のショックは相当のものだったと推察する。
 勇ましく用水路に降り立ち、上がって来れなくてうろたえている姿を見て、不遜にも芭蕉の句が浮かんできたのだ。

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