悲しい日

 今日は悲しい日だ。何となく多くの人が暗い気持ちで過ごしたのではないか。順番を付けることはできないが、どれも心が痛み暗い気持ちになる。
 一つは埼玉県の陥没事故。先進国であり、災害が多くて熟練した救助者が多い国でも、目の前で救えない人が出てしまったことへの無念。事故の様子が想像できるから、悲惨な亡くなり方も想像できる。多くの方が自分が遭遇したときに置き換えて考えることが出来るから、誰もが苦痛を共有できる哀しい事故だ。どれだけ怖くて苦しかっただろう。僅か10メートル上には救助のプロフェッショナルが集まってくれていたのに。
 二つ目は、森永卓郎の死。異色の経済人で、金持ち相手に発信するのではなく、庶民に多くを発信してくれた。金が金を生む手伝いを生業にするその手の職業人が多い中、庶民の生き延びるための経済学を教えていたように思う。癌とともに生きるを実践し、その過程も見せてくれて、最晩年の生き方にも教示を受けた人は多いのではないか。
 そして三番目が、小中高生の自殺者数が527人で、1980年以降で最多になったこと。内訳は、小学生が15人、中学生が163人、高校生が349人らしい。
 いわゆる子供たちが自分で命を絶つ。運よく身の回りで経験していないから、その原因を想像するしかないが、命を絶つ方が楽と考えるくらいの苦しみってどれほどのものなのだろう。救いの手が差し伸べられていなかったのか、そもそも救いを求めもしなかったのか、考えれば考えるほど胸が苦しくなってくる。ありとあらゆるものを手に入れられる階級が増殖している間に、ありとあらゆるものを失う人たちも又増えているのだ。どんなに社会が荒廃して人々が貧しくても、みんながそうだったら、そこまで絶望することはなかっただろう。
 幼い子供たちまで尊厳を失う世の中を受け入れてはいけない。幼い子供たちに、生まれてきたことを後悔させてはいけない。僕は戦闘機を1機か2機買うのを見送れば527人を救えたと思う。

https://www.youtube.com/watch?v=x8Ul94JozKs