御破算

 何処へ行っても、何をしても土産話などしない息子が、昨夜ちょっとだけ沖縄の話をした。  ホテルが嘉手納飛行場の近くだったらしくて、戦闘機が間近を飛ぶらしい。その戦闘機の轟音を「雷より大きな音」と表現した。僕は嘉手納飛行場がどこにあるのか分からないが、ホテルのすぐそばというのだから結構町中なのだろうか。それとも風光明媚なところなのだろうか。どちらにせよ、折角の観光に行っているのに、雷の音と同じような音がしばしば聞こえるようではたまらないだろう。  轟音の激しさを教えてくれた後に独り言のように「格好いいけれど」と付け加えた。子供なら、そのような感想を述べることもあるだろうが、大人がそう言ったので違和感があった。確かに僕もプラモデルなどで沢山戦闘機を作っていたから、格好いいことは分かるが、その前に殺人道具だと理解しているし、1機で熊本の被災者の多くを救えることも分かっているし、戦闘機が守るのは僕たち庶民ではなく、大企業の経営者や政治屋だと分かっているので、いい評価など決してしない。人殺し用の機械より、災害のときに活躍できる飛行機をそろえたほうがましだ。  数日間、沖縄で何をしてきたのか知らないが、僕にとっての沖縄はエイサーだ。それ以外は何も知らない。雷より大きな音が毎日するようなところと誰が想像できよう。本土の人間が無関心なのは想像が実情にはるかに及ばないからだ。轟音の体験がない人間は、語る資格がないと言われるのは悔しいから、想像力を働かせようとするが、基準となるものが無ければそれも出来ない。息子が「雷よりも大きな音」と表現したことは参考になった。だから戦闘機が格好いいと言ったのは御破算にしてやる。