このところ夏の始まりを告げる雷も、夏の終わりを告げる雷も経験しない。季節は妙に美人ぞろいの気象予報士が伝える天気予報の中に閉じ込められている。  ところが昨夜久しぶりに雷の音を聞いた。稲光も睡魔でもうろうとしている僕の網膜を何度も窓ガラス越しに照らした。前線が近づいていただろう時間帯からとても暑くて、いつものように窓を開けて網戸一枚で寝ていたが、まるで地球を冷やすような雨の降り方で、思わずガラス戸を閉めた。  曖昧な記憶だが、夕立やそれに伴う雷は最早珍しいものになった。少年時代は、海水浴場の南の空に積乱雲が立ち上り、ゴロゴロと言う音に追いかけられるように家路を急いだものだった。ところが最近は、季節の変化を告げる雷も、夏を盛りの雷もどちらも極端に頻度が減ってしまった。何がそうさせているのか分からないが、そのことに気がついたり研究したりする人はいないのだろうか。  本当に久しぶりの雷だったので、薬局にやってくる人の口の多くに上った。それぞれが、集中的に降った雨と稲光と雷鳴が怖かったと言っていた。雷くらいで怖かったというのは、他所の県の人には申し訳ないが、災害が少ないといわれる県だからこその「大袈裟」だろうか。  大雨とか台風とかに縁遠い北の国の人たちの災難の映像を目にする。為政者達にどのくらいの想いがあるのか知らないが、汚輪ピックに浪費する金があるなら是非あの人たちに回して欲しい。いずれはわが身。お偉い方々がすむ花の都大東京でも、いずれ地獄絵が展開される。