美学

 僕の美学からしたら受け入れられない。  どんなに暑くても寝るときにはクーラーを使わない。窓を全開放して、自然の風を感じて眠る。ただ瀬戸内海は、夕凪が有名なくらいだから決して涼しいとは限らない。それはそれで耐える。それでも寝付けないときは仕方なく扇風機を使う。  どんなに炎天下でも、ペットボトルを持っては歩かない。大の大人がペットボトルをぶら下げて歩いている姿は好きではない。日本は少し歩けば自動販売機もあるし、コンビにもある。わざわざ手に持って歩く必要はない。あの光景は、携帯電話をかけながら歩いている姿に重なり、僕は好きではない。  夏の挨拶で「暑いですね」とは言わない。クーラーの中で仕事をしているから、外の暑さを知らない。暑くもないのに「暑いですね」とは口が裂けても言えない。  ところがだ、どうやらこの夏は違う。美学だなんて言っていたら死んでしまう。あまりの寝苦しさに目が覚めて、慌てて窓ガラスをしめクーラーのスイッチを入れる日が4日くらいあった。汗をかいていて口が渇く。おそらく熱中症の入り口の辺りにいたのではないかと思う。このまま熱中症になるのではないかと言う不安で、慌てて水分を補給する。  かの国の女性達を神戸に連れて行ったときは勿論、少しの間でも太陽の下に出るときは、必ずペットボトルを持ち歩き、こまめに飲んで水分を補給する。熱中症は一瞬の間に体調が変化する。ひょっとしたら1秒で体が変わってしまう様に思う。だから自動販売機まで、コンビニまで歩くことができない可能性があるのだ。  スタッフが1人夏休みをとっているので、僕が漢方薬を作って自分で全国の人に発送する業務もしている。だから1日の内に何度か裏の駐車場に出る。駐車場は屋根はあるのに熱風が吹いている。だから発送のための箱をとりに出るだけなのに、建物の中に入ってくるとひんやりとして気持ちがいい。ただ「暑い!」と誰にあたるわけではないが口から出てしまう。僕も少しは暑さを経験しているからこの夏は「暑いですね」と何度も口にだす。  僕はこの夏美学を捨てた。美学より命だ。歳を重ねるとは、渇くこと、枯れること。周りの熱から逃げてクーラーで身体を冷やし、ペットボトルを一時も離さない。部屋の中でも熱中症を発症して命を落とす人がいる。せめてそれだけは防ぐ。僕のせめてもの美学。