入道雲

 バイパスを牛窓方向に走れば、空が視界を占領する。絵をたしなむ人なら、青と白の2色で今日の空を描くことが出来るだろう。  こんなに立派な入道雲を見たのはいつからだろう。聞いた話だと、上空何キロメートルにも及ぶらしいが、今日の雲はそれを納得させるには十分な雄姿だった。青色のキャンパスに、母は「雪で作ったみたい」と感じたし、僕は「綿で作った」ように感じた。モクモクの使い古された形容が最も適した今日の雲だった。  嘗てのこの辺りの子は、夏休みのほとんど毎日を近くの海水浴場で過ごした。今日の入道雲は、砂浜から前島のはるか上空にわき上がる雲の記憶以来だ。記憶では、毎日のようにその雲は現れ、それなくしては夏休みの日々は語れない。やがてゴロゴロと遠くで雷の音が聞こえ始め、小さな自転車を懸命に漕いで、家に急いだ。遊びの中で身を守る術を、小さな先輩から受け継ぎ、また小さな後輩に伝えていった。  10人、20人単位で、学校から帰れば小さな集団で毎日を過ごした。学校とは又異なる集団の掟を守り、成長していった。人間関係の道場は至る所に存在していた。幼い子供達が学んだのは、生きていくための掟で、試験で点数がとれることではなかった。ところが、現代の子が教えられているのは、点取りのテクニックで、人と人が、様々な感情を絡めながら共存していく姿ではない。ごめんという理由、有り難うという理由、そんなものは問題集には載っていない。だから分からない。痛い目に遭わされていないから、痛い目を逢わすことがどれくらい傷つけるかも分からない。  コンビニで、同じくらいの年齢の店員に、無表情でお金を投げる若者。大切なことを教えなかった親の不幸。大切なことを教えられなかった子の不幸。ガキ大将のかけ声で、稲光と競争で帰った田圃のあぜ道は彼にはなかったのだろう。この国の不幸は大群でやってくる。