雨にも負けず

 面白い経験をした。目が覚めたら当然大雨のはずだったのだが、東の空が晴れていた。今日の予定は、白紙でひたすら台風が去るのを待つはずだった。ところが青空を見たものだからどうしようと思案しながらテレビを見ていると、宗教の番組が教育テレビで放映されていた。好んで見るわけではないが、他の番組があまりにもひどすぎるので緊急避難的に毎週見てしまう。  その中である人が、毎日お風呂の中で宮沢賢治の詩の中の一部を繰り返すと言っていた。例の「雨にも負けず」の詩だが、何処を繰り返すのか聞きそびれた。そこでインターネットで調べてみた。こうしてじっくり読んでみるとやはりすばらしい。若いときより数段身にしみる。教えられるのではなく共感できる年齢になったからだと思う。出演者がどこの部分を繰り返すのか分からないが、僕は全部を繰り返したいと思った。

「雨にも負けず」

雨にも負けず 風にも負けず 雪にも 夏の暑さにも負けぬ 丈夫な体をもち 慾はなく 決して怒らず いつも 静かに笑っている 一日に 玄米四合と 味噌と 少しの野菜を食べ あらゆることを 自分を勘定に入れずに よく 見聞きし 分かり そして 忘れず 野原の 松の林の 陰の 小さな 萱ぶきの 小屋にいて 東に病気の子供あれば 行って 看病してやり 西に疲れた母あれば 行って その稲の束を負い 南に死にそうな人あれば 行って 怖がらなくてもいいと言い 北に喧嘩や訴訟があれば、 つまらないから やめろと言い 日照りの時は 涙を流し 寒さの夏は おろおろ歩き みんなに 木偶坊(でくのぼう)と呼ばれ 褒(ほ)められもせず 苦にもされず そういうものに 私はなりたい

南無無辺行菩薩(なむむへんぎょうぼさつ) 南無上行菩薩(なむじょうぎょうぼさつ) 南無多宝如来(なむたほうにょらい) 南無妙法蓮華経(なむみょうほうれんげきょう) 南無釈迦牟尼仏(なむしゃかむにぶつ) 南無浄行菩薩(なむじょうぎょうぼさつ) 南無安立行菩薩(なむあんりゅうぎょうぼさつ)  

 結局玉野教会に行った。かの国の女性で洗礼を受けたくて勉強している女性がいる。台風が心配だったので、妻の軽四自動車よりは安全だと思ったからだ。今日のミサの中で、読まれた教えが以下のものだった。僕はこの教えにもいたく感動した。よく見てみると、宮沢賢治の詩と共通している部分が多い。時代も洋の東西も異なるけれど、良い生き方は同じだ。これもまた年齢を重ねた分、共感する部分が多いのだと思う。もう物はどうでもいい。目に見えるもので欲しいものなどない。心でつかむしかないものにこそ価値はある。もっと若いときに到達しておきたかった境地だ。

シラ書27・30

憤りと怒り、これはひどく忌まわしい。 罪人にはこの両方が付きまとう。 復讐する者は、主から復讐を受ける。 主はその罪を決して忘れることはない。 隣人から受けた不正を赦せ。 そうすれば、願い求めるとき、お前の罪は赦される。 人が互いに怒りを抱き合っていながら、 どうして主からいやしを期待できようか。 自分と同じ人間に憐れみをかけずにいて、 どうして自分の罪の赦しを願いえようか。 弱い人間にすぎない者が、憤りを抱き続けるならば、 いったいだれが彼の罪を赦すことができようか。 自分の最期に心を致し、敵意を捨てよ。 滅びゆく定めと死とを思い、掟を守れ。 掟を忘れず、隣人に対して怒りを抱くな。 いと高き方の契約を忘れず、他人のおちどには寛容であれ。