こんな光景は幼いときから数え切れないくらい経験している。急に暗雲に覆われ、気温が低下し、冷たい風が吹いてきて大粒の雨に打たれることなど、毎年何度も繰り返された夏のありふれた光景だ。それがあの巨大竜巻の光景を動画で見てから、何か特別な災害をもたらす地球の怒りのように思えるからトラウマって恐ろしい。 昨日、冷たい風と大粒の雨が急に始まったとき偶然居合わせた2人が口を揃えて「雹でも降るのではないの」と言った。あの竜巻の時の映像が頭をよぎったのだろう。以前ならこんな温暖なところで雹というような言葉は出てくるものではなかった。ところが口を揃えて出てくるのだからインパクトはかなり強かったに違いない。 国内どころか世界中の災害がリアルタイムで見ることが出来るから、それらの恐ろしさをかなりの真実みをもって知ることが出来る。嘗てのように人の言葉や写真などだけでは多くの真実は欠落してしまう。災害が増えたのかどうかは分からないが、ほとんどの災害を映像で見ることが出来るのだから、知的体験としては圧倒的に増えた。まるで学者のように、まるで気象予報士のように、まるで被災者のように多くの災害を目撃する。そして地球に命をもてあそばれるか弱き同胞を見る。  ありふれた雷雲に恐怖感を覚える異常が、大粒の雨に打たれながら稲光の下を海水着のまま走って帰ったまるで野生の異常より高尚だとは思えない。