金沢英東

 彼は、その後も歌い続けていたんだと、思わず声をあげた。  40年以上前のこと、僕は岐阜で学生時代を過ごした。当時はまだフォークソングなるものが登場したばかりで、一部のプロ以外は、今の時代では考えられないくらいお粗末だった。素人も、当時まだ珍しかったギターを買って楽しんでいたが、それも少数派だった。要は今みたいに音楽を楽しめる環境は整っていなかったので、一部の人間だけが実際に楽器をいじっていた。多くの人は聞き手側だったのだ。現代のカラオケのように誰もが簡単に唄を歌えるようになるとは思いもよらなかったが、そのおかげで唄を歌う人の力は随分と伸びた。  今日は久々に何もすることがない休日だったので、ユーチューブで加川良の歌を聴いていた。そこで偶然「金沢英東」と言う名前を見つけた。苗字はともかく名前がユニークなのですぐに思い出した。ただ、この名前の人物は40数年前に、岐阜で行われた何かのコンサートの時に一緒になった人で、その後のことは何も知らなかったので、彼であるという確信は持てなかった。そこで彼の名前で検索してみるとやはりコンサート風景のものがいくつかアップされていた。  40数年も会っていないので、僕と同じようにかなり変わったはずだ。ユーチューブで演奏している姿が映されるが、当時の面影はなにもない。そこで一か八かでWikipediaで検索してみると、すぐに名前が出てきた。彼はフリー百科事典『ウィキペディア』に載せられるくらいの人物になっていたんだ。当時岐阜の街では彼を越える歌い手はいなかった。素人の僕を1としたら彼は既にその時には100くらいの実力を持っていた。僕が岐阜を出てから彼と接することはなかったが、40数年ぶりに彼の歌を聴いてもその倍率は増えることはあっても減ることはない。  片や歌を続けた青年、片や薬剤師。どちらがいいとか悪いとか比べることは意味がない。それぞれが自分に合った場所を見つけて精一杯生きるに尽きる。ギターとハーモニカとブルース。40数年前と何も変わっていないような気がするが、ひょっとしたら彼の歌かもしれない「蛍の唄」を聞いていて随分と大人になってとげが取れたなと思った。40数年の空白がわずか1秒で甦る。人生そんなに力む必要はない。わずか1秒の為に。