歓喜の歌

 訳もなく好きだから、この数年第九をこの時期に聴きに行くことにしているが、今日好きな理由が分かったような気がした。  的はずれかもしれないが、最後の楽章がバスなどの弦楽器の重厚な低音で始まるのは、ベートーベンが感じていた当時の世相を表現しているのではないかと思ったのだ。長く続く低い音の後、軽やかな旋律が次第に大きくなりやがては僕の大好きな大合唱になるのは、それこそ革命の旗の下に集う大衆の歓喜の歌声だと思う。  僕は今年初めてその低い重厚な調べに心を奪われた。それまでは合唱が始まるのを今かいまかと待ちながら聴いていたが、今年は違った。あの重厚な旋律が、現在の日本に正に打って付けの暗黒を予感させるものに聞こえたのだ。たった10数パーセントの得票しかない奴らが、好き放題をしている今に重なりすぎるのだ。荘厳な音楽に浸りながら一方では、沸々と怒りが沸いてきた。  類い稀ない才能の持ち主が、何世紀にも渡って数え切れないほどの感動を人々に与え、片や何処にでもいる小心者が暗黒に導く。歓喜の歌をこの国の人々が高らかに歌い上げる日が来ることを望む。