「オトウサン コンド ユックリキタイ」とかの国の2人の女性が言ってくれたのが3週間前だ。毎週僕は1人で訪ねてはいるが、30分くらい母の車椅子を押すのが精一杯だ。その時もいつものペースで帰ろうとしたのを見ての2人の反応だ。  「今度来るときはゆっくりできるようにする」と軽く請け負ったのだが、果たしてどのくらい居たいのか確認してみると「2時間以上」とはっきりと要望された。2人のうちの1人は、来週不本意な帰国を余儀なくされた女性、もう1人は幼い子供を残して働きに来ている女性だ。前回母を挟むようにしてずっと話しかけてくれた2人だ。  母を訪ねるおよその日程を考えているところに、僕をしたって再来日した2人と、最近知り合ったA工場の通訳の1人が偶然、「オバアチャンニ アイタイ」と連絡してくれた。  何故痴呆の「オバアチャン」がそんなに人気なのか僕には分からないが、一緒に行ってくれるだけで、見舞いの質が数段上がる。数分に一言、義理チョコみたいな僕の会話では、母の萎縮した脳を覚醒することは出来ない。  運よく雨が上がっていたので、車椅子のまま施設から連れ出して、広いグランドに植えられている桜の木の下に陣取った。ただ母はずっと目を閉じていて、呼びかけにニコニコしながら頷くだけだ。そうした母の姿に最初は驚いていたようだが、その後果敢に母を覚醒させようとそれぞれが知恵を絞って、例えば、足を揉んだり手をさすったり肩を揉んだり、挙句は母の閉じた瞼に口付けをしたりして、堅い瞼を開こうとした。その間絶え間なく優しく、時にユーモアを交えて母に語りかけてくれた。母はニコニコしたり、声を出して笑ったりするが決して目を開けなかった。  そうした攻防が1時間くらい続いただろうか、偶然僕だけが母の正面に居たときに突然目を開けた。「あっ、開いた」とまるで何かの吉報を手にしたときのような驚きの声をあげた。まるで開かずの扉が開いたような衝動だった。折角沢山の若者が母に会いに来てくれているのに、そしてその中の初対面の女性は「カオガミタイ」と言うくらいだから、目をあけた顔を見せてあげればと僕も思っていたので、「間に合ってよかった」  そのうちグランドの奥にある小さな遊園地に場所を移して、母を楽しませてくれた。そして圧巻だったのは、なんと母を車椅子から降ろし、一人が前に回り手を引きながら、両脇と後方を3人が支えながら歩行訓練をしてくれたのだ。5人のうちの2人が介護のバイトを始めていたので、理にかなった介助をしてくれて安心して見ていれた。  結局2時間では時間が足りなかった。彼女達の持つ本来的な愛情は、ほとばしるようにあふれる言葉や態度で現れ、時間などではとても評価できない。微塵の修飾もない彼女達の態度に驚き、ただただ感謝あるのみだ。僕の家族が100年費やしても注ぐことが出来ない愛情をわずか2時間で母に注いでもらった。そしてぬぐいきれない僕の姥捨ての罪悪感からも、解放してくれたような気がした。