施設に着くと、母は広いホールに並べられた沢山のテーブルの1つに背を向けて腰掛けていた。後姿と言うか、後ろ頭で母を見つけることが出来る。もう何年も通い続けているから覚えた。同年代の同じような症状の方の集団だから、皆さんとても似ていて、最初の頃、見知らぬおばあさんの車椅子を押して話しかけていたことがある。どっちみち会話は成立しないのだから、よそのおばあさんに親切にしても一向に構わないが。  寒いから外に連れ出すことは出来ないが、気分転換に長い廊下を行ったり来たりすることにした。車椅子のストッパーを外すのに、持参していた薬剤師の情報誌が邪魔になったので、母に手渡して「ちょっと持っていて」と頼んだ。すると母はそれを受け取りしっかりと持っていてくれた。ホールから廊下に出てまずは突き当りまで車椅子を押した。突き当たったところは、鉄の扉なのだが、窓ガラスが結構低いところまであって、車椅子に腰を掛けたまま外が眺められる。別段良い眺めではないのだが、少しでも外の世界に触れてもらいたいから、寒い日にはそこに連れて行く。車椅子の後ろに立ち母を見下ろすと、さっき持ってもらっていた雑誌を開いて母が見入っていた。そして少し時間を置いてページを捲った。偶然かと思っていたが、その動作を何度も繰り返した。そばで見ていると、本当に雑誌を読んでいるようだった。それはそれは真剣な顔をしていた。ただ無表情だっただけかもしれないが。  その後面会室まで帰って、僕は母を正面においてソファーに腰掛けてその雑誌を読み始めた。息子の欠点で、母親との会話は苦手で、だからと言って姥捨てにした罪悪感は拭えずに母をしばしば訪ねるのだが、口を利くのは5分に1回だ。今日も沈黙の中一所懸命僕は雑誌に目を通していた。すると何かの拍子に雑誌を低く持った時に母が反対側からその雑誌を食い入るように見ているのに気がついた。その時に思った。母は字を追っているのではないかと。そう言えば母は施設から連れ出したときに、大きな看板を見つけると必ずそれを読む。かなり難しい漢字でも正確に読む。ひょっとしたらと僕の胸に大きな期待が膨らんだ。もしかしたら、母が興味を持ちそうな本を持って行ったら読むのではないかと思ったのだ。施設のスタッフや家族の勝手な思い込みで、痴呆の人は読書などしない、出来ないと思っているのではないか。  次回訪ねる時に早速実験をして確かめたいと思っている。