介護施設

 紐で首からぶら下げたエプロンは、魚屋さんで主に見かける。水仕事だから必需品なのだろう。そのエプロンを茶髪の兄ちゃんがしていた。魚屋さんのように黒くはなく緑色だったから余計似合っていた。  今日は午前中に母の施設を訪ねた。母のところに行こうとすると、職員が丁度風呂に入るところでしたと言って、風呂場のほうから車椅子を押して母を連れて来てくれた。僕との戸外での散歩をよく理解していてくれて、母の風呂の順番を工夫してくれるそうで、ゆっくりお母さんと散歩してくださいと気を使ってくれた。  早朝の雨が嘘のように上がり、夏を思わせる強い日差しがその時間帯には施設に隣接するグラウンドにも届いていた。少年野球のかわいい選手達の練習を2人でしばし眺めた。テレビでのスポーツ観戦が好きだった母だが、何を思って見ていたのだろう。  練習を終え解散する子供たちに合わせて僕らも施設に戻った。約束どおり風呂場に母を連れて行った。そこでは椅子に腰掛け順番を待っているお婆さんが2人いた。そして奥で体を洗っている2人の老婆が見えた。一人はベッドみたいなのに横になり両側から職員が体を拭いていた。もう一人は腰を掛け背中に一杯石鹸の泡がついているのが見えた。寝ているほうはあまりよく見えなかったが、背中に石鹸の泡が一杯ついている光景は、安心の光景だった。そして感謝の光景でもある。母を我が家で介護していたときは、母の発するおしっこの臭いが、結構苦痛だった。いくら紙おしめと言っても、少しは肌に不快感があるのではないかと思うが、それを表現することは母には出来ない。介護するほうもされるほうも、この不衛生の壁は高い。素人には限界があるのだ。風呂場で見た光景は、プロの設備であり技だ。これだから母といつ会ってもなんら不快感が伝わってこないのだ。排泄をクリアすれば介護はかなりの部分が達成されることになる。まるで姥捨てだと自分を責めていたが、最近は母の清潔振りと、笑顔を多く目にするにつけ、介護施設にお世話になってよかったと感謝するばかりだ。  日曜日の朝の10時過ぎ。あの若い青年は、仲間と遊びたいだろうに、緑のエプロンをし、手にはスポンジを持って、老人達の体を洗ってあげている。自分の親や祖父母には決してしないようなことを、まるで堂々とやっていた。介護職につく成年男子の上に、今日のように、まぶしい陽がさしてくれることを望む。