孝行

 大体パターンは決まっている。あえて自分で決めたわけではないが、毎度おなじみのことをしているのだから寸分たがわずとはいえないまでも同じ行動を僕は取っている。  昨日は広島の漢方研究会が早く終わったので、結構まだ太陽が高いうちに母を散歩に連れ出せると勇んで施設を訪ねた。天気予報で午後から雨のようなことを言っていたから、天気が崩れない間にと広島を後にした。それが原因ではないと思うのだけれど・・・・・。  玄関で受付を済ますと、うがいと手の消毒をし、簡易マスクをつけて施設内に入る。扉にはいつもロックがかけられているので、受付の女性に頼んで開けてもらう。施設に入ると体育館くらいあるホールに向かい、いくつも並んでいるテーブルから母を捜しだす。ただ最近は、いつも同じ席にいるから探す必要はなくなってきた。昨日もいつもの席にいつものすすけたようなピンクの服を着て、こちらに背を向けて腰掛けていた。8人くらいが一つのテーブルを囲んでそれぞれが無気力に頭を垂れている。僕はまず両肩に手を掛け「お母さん来たよ、天気がいいから外に出てみよう」と声を掛けた。母はいつも的確ではないが、何か言葉を返す。その日も何を言ったかわからないが、なんとなく嬉しそうな雰囲気が伝わってきた。そしたらおもむろに車椅子のロックを解除する。そうしないと動かない。ロックを解除し、後ろ向きに引っ張って、それからユーターンする。出口のほうに車椅子を向けると、他の入所者で比較的しっかりした人たちが羨ましそうに見る。恐らく家族の人があまり面会に来てくれないのだろう。母一人を連れ出すから若干の後ろめたさがよぎる瞬間だ。  昨日は車椅子がいつもと違っていた。足を乗せる板がないのだ。それで車椅子を動かすと、足が床との間に食い込んでしまう。下手をしたら骨折でもしてしまいそうだ。そこで職員の方に理由を尋ねてみると、急に立ち上がることが多いので、足載せがあるとその上に立ってしまうんですと教えてくれた。何回か骨折している母だからその程度のことはやりかねないと思ったが、なんとなく元気になっているんだと喜んだ。その喜びをもっと実感させてくれたのが、いざ前方に車椅子を押し始めると母がなんと腹筋を利用して足を地面からかなり離したところで止めているのだ。これなら危なくない。僕は安心して押しながら玄関に向かった。母には「今日はいい天気だから外に出て太陽を一杯浴びよう」とか、「少年野球をグラウンドでやっているから見よう」とか「花がきれいよ」などといつもの決まりきった言葉を掛けていた。玄関は出るときも職員の許可をもらってロックを解除してもらわなければ出れない。だから事務室のガラス越しに職員に開けてくれるように手振りで要求した。すると職員が事務室の窓ガラスを開け僕に「〇〇さんですか?」と尋ねた。あまりよく聞き取れなかったので「えっ?」と聞きなおした。すると事務員は又同じ名前を口にした。この事務員とは面識がなかったことに気がついて、「いいえ大和です」と答えた。すると丁度その時後ろから数人の職員があわてて走ってくるのが視界に入った。そしてその職員と受け付けの事務員がほとんど同時に「この方は大和さんではないですよ」と言った。一瞬何を言っているのか分からなかった。いつもの席でいつもの服を着て、いつもの白髪でいつものやせようで、僕は正面で足を持って足載せを懸命に探したりしていたのに。「違う人?」覗きこむ僕だが、覗きこむ途中は完全に母だ。ところが正面に回って見ると明らかに別人だ。恥ずかしくもなんともなかった。とにかく面白かった。大爆笑だ。職員の方たちも大笑いだった。「こりゃあ、誘拐じゃ!」は僕が発した言葉だ。これが幼子だったら明らかに事件だ。  いくつの条件が重なってこんな間違いを起こしたのだろうと思うが、間違わないほうがおかしいくらい条件が重なっていた。でもみんなが楽しくなるような出来事だったから、それはそれでよかった。僕が色々語りかけたお婆さんもいい表情をしていた。久しぶりに家族が来てくれたと喜んだのかもしれない。偶然がもたらした擬似家族でも楽しければそれでいい。実際の家族よりもっと幸せで楽しい関係を他人と作ることが出来ることを、僕はこの数年かの国の若い友人達で体験した。その逆があっても不思議ではない。  母は結局その時熱があって医務室にいたことが分かった。気分が悪かったのか、手には嘔吐してもいい器を持っていた。こんないい天気の日の太陽にも当たれなければ病気になると外に連れ出して、さっきお婆さんに言った言葉を繰り返した。孝行を2倍したような気分になった。  そのことを家に帰って妻に話すと「お父さんが施設に入ったほうがいいんじゃないの」と言われた。話すんではなかった。