血縁関係

 今朝は分刻みで動いた。その中の一箇所が母が入所している施設だ。かの国の女性二人を伴って訪ねた。まだ事務室が空かない時間に訪ねたのは、その後何箇所かで倉敷の第九のコンサートに行くかの国の青年達を拾わなければならなかったからだ。同行する予定の若者が数組に分かれて午前中に行動するらしく、それぞれを拾って倉敷に向かわなければならなかったから、時間の余裕がほとんど無かった。  先週、施設の方から印鑑を持って来る様に言われていたので、書類作りに時間がかかると予想していた。案の定、事務方の説明を聞くのに20分くらい要した。その間、かの国の女性が母の相手をしてくれた。その時間は太陽がまだ雲間から顔を出していなかったので、施設の中を車椅子を押して何回か回っていた。そして事務室から見える廊下の端に車を止めて、母を間にはさんで3人がお喋りを始めた。二人は母の手をそれぞれ握り、母の顔を覗き込むように話し、又母の言っている事を理解するために、母の口元に耳を寄せていた。結構離れていたのに、母の声も聞こえる。あんなに大きな声も出るんだと意外だった。僕と二人だと、ぼそぼそと、とつとつと話すだけなのに、二人の若者と話をすると楽しいのだろうか声が大きかった。又笑い声も時々聞こえた。  結局、僕は最初と最後の挨拶をしただけで、ほとんど二人が相手をしてくれた。別れを言って僕は施設の外に出たが、二人はなかなか出てこなかった。迎えにもう一度建物の中に入っていくと、二人はまだ母の手を取り、別れが尽きぬようだった。僕が促すと二人はしぶしぶ施設から出たが、その滞在時間の短さを責められた。  二人の中の一人は、来月に志半ばで途中帰国する女性だ。朝、車中で、日本の思い出作りの為に、帰国する前に京都に連れて行ってあげると約束していた。ところが、施設から岡山に向かう車中で「オトウサン ワタシ キョウトイカナイ オバアチャントコロ ユックリキタイ」と言った。その言葉を僕は「ありえない選択」とは思わなかった。僕が大切にしているかの国の若者だったら「ありうる選択」なのだ。誰が痴呆の老人とあれだけ長く話してくれるだろう。そして別れを惜しんでくれるだろう。帰国する女性だけでなく、もう一人の女性も同じ提案をしてくれた。  ふとしたきっかけで多くの異国の青年達と接するようになったが、僕は血縁関係などたいしたことではないと思えるほど多くの娘達を持った。それぞれが滞在中に有意義な日々を送ってくれること、帰国してから滞在中の経験や稼いだお金が役に立ってくれることを本気で願っている。