拍手

 才能が無くても、しこしこと続けていると何とかなるものだ。そんな体験を昨日した。わけも無く好きになった第九も回数を聞いていると、上手い下手が分かるようになった気がした。  開演時間前にロビーでコーヒーを飲んでいると、合唱する人たちが、まるで引率者に連れられるように行列で目の前を通過した。先導者が1から9までの番号を書いた小さなプラカードを頭上にかざし、控え室のほうに消えていった。総勢何人か分からなかったが、100人はいるのではないかと思えるほどだった。目の前を通過していく人たちは、女性は白のシャツに黒のロングスカート、男性は黒の上下だった。だが、全員が僕くらいな年齢で、腰が二重のお婆さんもいた。勇気ある人だなあと感心はしたのだけれど、一気にこれから始まろうとする第九のコンサートに失望感が広がった。  ところがいざ演奏が始まると、今まで何回も聴いた事がある中で「上手なのではないの」と思い始めたのだ。理由はわからなかったが、心が集中して曲の中に入っていっているのが実感された。第九を聴くのはまさに「歓喜」を体験するためと勝手に僕は決めているが、沸いて来る勇気を感じた。そして合唱も決して劣るものではなかった。目の前を通り過ぎるメンバーを見ていなかったら違和感はなかったと思う。  演奏が終わってから拍手が10分間は鳴り止まなかった。地元の人で作った合唱団と言うのもあるかもしれないが、不器用なブラーボーもあちこちで聞こえ、観客が高く評価したことが雰囲気で伝わってきた。僕も手が痛くなるほど、いやいや、手がだるくなるほど叩き続けた。  会場を出てから気になったのでパンフレットを見てみると、指揮者が藤岡幸男と言う人で、演奏が関西フィルハーモニー管弦楽団だと言うことが分かった。クラシックに疎い僕でも関西フィルハーモニーの名前くらいは聞いたことがある。どの程度のランクに属しているのか分からないが、上手な楽団ではないかと思った。合っているのかどうかわからないが、そうした判断が出来るようになったのかもと、少しだけ喜んだ。