ここまで追い詰められていたのかと、分かって上げられなかったことを後悔した。  不本意な帰国を余儀なくされたかの国の女性と共に過ごすことができるのは今日が最後だったので、後楽園の花見を楽しみ、その後はしばしば僕が彼女達を招待するプラザホテルのレストランで食事をした。招いていたのは、職場の女性と、派遣された工場は違うが、かの国にいるときからの親友、そして僕をしたって再来日した二人だ。最後の晩餐?昼餐だから妻も同席した。  午前中の花見は同じ工場の女性と彼女と僕の3人だったが、終始楽しそうだった。桜並木の美しさに触発されたのか力強く「オトウサン ワタシ ニホンニ マタクル」と言ってくれた。これは僕が一番望んでいることだ。自分の職場での不器用さに苦しみ、そのことが耐えられなくなっての職場への不適応が不本意な帰国の原因らしいが、失意のうちに心と体を病んで帰っていくその女性が哀れで仕方なかった。性格的に心のうちを人にぶつけることが出来ないので、同僚も本当の理由を測りかねていた。ただこの数日、帰国が迫ってきたからか初めて本当の理由(仕事に対するコンプレックス)を話し始めてくれた。  いざ食事が運ばれてきても彼女は箸をつけなかった。それどころか何度もトイレに通う。口も開かなくなった。他の人間は楽しそうに食事をしていたが、そのうちさすがに青年達も耐えられなかったのだろう、彼女に話しかけるようになった。そこから長い会話がテーブルを挟んで続いた。僕は言葉が分からないので黙って聞いていただけだが、全員を信頼しているから、介入しないようにみんなの表情を伺いながらじっと聞いていた。どんな内容の話だったのか分からないが、真剣な表情で終始した。青年達が、真剣に言葉を交わす姿を見て、異国で暮らす人たちに連帯感を感じた。  気まずいままホテルを出たところで、しきりにその女性が今しがた雰囲気を壊したことを謝ってきた。僕は職業的に、病んでいる人の相手が多いので、謝ってもらう必要がないことは分かっているし、むしろ苦痛を態度や言葉で出すことが出来たことを褒めた。今まで半年位、苦しんでいたらしいが、全く僕にはそのそぶりを見せなかったのだから、むしろ僕は評価した。  レストランで急遽取り乱したのは、仕事の話が出たせいだと、その後教えてくれた。そう言われれば確かにそうだ。急変といってもいいくらいの変わりようだった。それだけ仕事が苦痛だったのだと再認識したがそれでは遅すぎる。ちょっと仕事の話題を出したばっかりに彼女を苦しめてしまったのだ。彼女の受けてきた教育レベルから言うと全くヒットしないような仕事内容で、モチベーションを保つことが出来ずに不器用と言うラベルを張られても、それはむしろ勲章だと昨夜励まし、納得していたばかりなのに、うかつにも僕が再来日のための手続きを、先輩に当たる二人に話させたのがまずかったのだ。後進国の人たちが一度研修生で来日し、その後又来ようと思うとかなり難しいことを知っているから、その知恵を伝授して欲しかったのだ。  国に帰ることを決意してから新たに生まれる不安(仕事と健康)と葛藤しながら、表面では冷静を装っていたその女性が不憫でしかたない。多くの女性達が錦を飾って帰るのとは対照的だ。仕事中でも休日でもそのことが頭をよぎる。僕の限られた、いや限られすぎた力でどれだけの援助が出来るのかわからないが、手にすることが出来なくなった向こう2年間の幻の体験を、いつの日か再現することを約束したい。