僕は時々、母がお世話になっている特養にかの国の女性たちを連れて行く。目的は、日本の隠れた日常的な光景を見て欲しいからだ。近代的な表の景色だけではこの国を理解できたとは言いがたい。日常延々と続いている営みも知ってほしいからだ。今まで延べにしたら30人は連れて行っていると思うが、どの女性も施設に入った瞬間目を見張る。そこには多くの老人が車椅子に腰をかけ、無言で広い空間に集められているからだ。お互い話をするわけでもなく、ただひたすらうつむいて惰眠をむさぼっている。  先日、3ヶ月に期間を区切られて応援に来ているかの国の女性5人を連れて行った。いつものように初めて見る光景に驚き、いつものようにまるで本物のおばあちゃんのように優しく接してくれた。まだまだ老人を大切にする国の人たちは、老人との接しようがこの国の人間とは異なる。それこそ言葉が分からない分スキンシップで愛情を伝えようとする。痴呆だと途中で気がつくが、それで態度を変えることはなく、余計深く愛情を注いでくれる。  昨夜寮に薬を届けに行ったときに、なぜおばあちゃんを施設に入れているのか問われた。来日してまだ2ヶ月の女性たちだから言葉は全く出来ない。通訳としてきている女性が必ず傍にいてくれて、僕の言葉を伝えてくれる。彼女は今度日本語の1級試験を受けるくらい日本語には堪能で、おなけにかの国の女性としては珍しく大学を卒業していて、見るからに賢明そうな顔をしている。彼女の夢は母国に帰って、生活が苦しくて、まともに食事を摂れない人の為に施設を作ることだ。心まで純粋な女性だ。  僕が一区切りごと喋ると彼女が訳し、リビングに集まっている他の女性たちに伝える。10秒くらいかかるがほぼ完全に伝わっていると思う。「もう5年くらい前に、おばあちゃんが、何も分からなくなったんで、仕方なく施設に入れたんだよ」「本当は家でお世話したかったけれど、目を離す事が出来ないからそれは出来なかった。」「施設に行く日に、お母さんに頼んで、おばあちゃんをだまして連れて行ったんだよ」「でもおばあちゃんは分かっていたのか分からなかったのかしらないけれど、何も言わずにお母さんを見送ることもなく向こうを向いていたらしいよ」「家に帰ってからその話を聞いて、お父さんは涙が止まらなかった」「お父さんが決断したのだから、その後おばあちゃんが怖くて施設に会いに行くことができなかった」  この辺りまで喋ると、僕はフラッシュバックして涙が出そうになった。それにつられたのか、或いはおばあちゃんを哀れに思ってくれたのか、通訳の女性は声が出なくなり、涙を流し始めた。その光景を見て他の女性たちも涙を流し始めた。「自分達が泣く必要はないじゃないの!」と言ったけれど、心の中では母を大切にしてくれる彼女達の純朴さに圧倒されていた。  「3ヶ月くらい経ってから、ようやく決心しておばあちゃんに会いにいけたんだよ」「でも会いに行くとおばあちゃんはとても清潔で、これでよかったんだと思った」「今は、何も後悔していないよ。日本人は長生きだから、不健康で暮らす期間が男は9年、女性は12年だから、施設に入れるのも仕方がないんよ」僕が後悔していないこと、おばあちゃんがとてもよく世話をしてもらっていることを言うと、彼女達も笑顔を取り戻してくれた。それにしても見ず知らずのお年寄りにここまで自然な愛情を注いでくれるようなことがあるのだろうか。いつかそういう人の暮らすところで生活してみたいが、その頃には、僕が母のようになっているだろう。