激情

 カトリックの神父様にそんなことをしていいのかと思ったが、次女は教会である神父様を見つけると、横から抱きつき顔を肩に押し当てた。そして正面に回ってハグをした。神父様もそれに応えてくれたが、その時に次女の目が真っ赤に充血しているのを見つけた。神父様がそれを指摘すると、我慢していた涙が溢れてきた。それを隠すかのように今度は後ろに回り、後ろから大柄の神父様の体に手を回した。そして暫くの間顔を背中に押し当てていた。  かの国に帰って再度来日して、玉野教会に嘗て尊敬していた神父様がいないことを知ると残念がっていた。他の教会に赴任して行かれていたが、そこに連れて行ってあげるには遠かった。連れて行ってほしげなのは分かっていたが、遠慮して口には出さなかった。   昨日、ベトナム出身の男性が9年間の勉強の後に晴れて神父様になった。そのお祝いのミサがあったのだが、広島教区の神父様たちが一堂に会された。その中に会いたくて会いたくて仕方なかった神父様が偶然おられたのだ。信仰厚い女性だから、どのくらい会いたかったか想像もつくが、普段少し控えめな彼女が見せた激情が、衝撃だった。背中に抱きつき涙を流しながら「お父さん」と言っていた。キリスト教では神父のことをファーザーと呼ぶから不思議ではないのだが、僕はひょっとしたら国に残した父親と重ねていたのではないかと思った。何故なら、3年間日本で実習生として働いた後、「いい生活」を夢見て再度来日したのだが、果たしてその意味があったのか傍で見ている僕は懐疑的なのだ。日本語学校で、勉強よりアルバイト目的で来日した外国人を多く目にし、卒業後も日本におれるように、資金援助をしてくれた老人施設の勧めで介護の学校に入学した。介護士不足で外国人を囲い込みたい施設の目論見と利害が合致しての選択だから、希望する進路ではない。いい生活が、外国の老人の下の世話をすることだったのだろうか。多くの人の善意で日本におれるようになったから、本心を吐露することすら許されないのだろう。だから神父様を見つけて心の奥に隠していた感情が噴出したのだろう。  次女の誘いに乗り一緒に来日した三女は、その光景を冷静に見ていた。次女の突然の変貌に面食らったのか、少し距離を置いてニコニコしていた。そして神父様と分かれた後に、次女を後ろから抱くようにして「お父さん」と泣く真似をしていた。  決して経済的に恵まれていない家庭の青年が日本で暮らすのは大変だ。知識や教養を身につける時間も資金も人脈もない。単なる日本の労働力不足の補完的な存在として来日しているだけのような人が多い。それではいい生活など程遠い。自分の青春を差し出し「いい目」をしている人間を養っているようなものだ。  それにしても数年ぶりに再会した神父様に見せたあの激情は何だ。数年ぶりに再会した僕のときとは雲泥の差だ。