手遅れ

 元々無知には自信があるが、二条城についても同様だ。僕は何処でインプットを間違えたのか分からないが、昨日まで何故か天皇が住んでいたところと勘違いしていた。中学校の修学旅行で恐らく訪れていたのだが、その時に何か誤解してそれがそのまま続いているってことだろう。いかに僕にとって修学旅行などと言うものが役に立たなかったってことだ。旅行業者を儲けさせるだけのもので意味はないなどと居直っているが、実際高校のときは修学旅行には参加しなかった。。  いつも京都を案内してくれる女性が、徳川最後の将軍が住んでいた事を教えてくれた。城に入る前に教えてくれたから、二条城の内部を全うな好奇心で見ることが出来た。大いなる勘違いで何の感動もなく出てくるところだったが、一つ一つの部屋の意味も理解できた。もし天守閣が残っていればあんな勘違いをしなくてすんだのだが、ないばっかりに何故か大いなる誤解のままで終わるところだった。  見学中に放送があって、建築以来初めての改修工事を行うから寄付をして欲しいとのことだった。回収費用がなんと100億円かかるらしい。そこで僕はすぐに計算を始めた。回収費用が100億円と言うことは、本来の費用はいくらだったのと。10をかけるのか100をかけるのか。10なら1000億円、100なら1兆円。いずれにしても莫大なお金だ。時の権力者がいかに力を握っていたかがよく分かる。  昨日の二条城見学のおかげで自身で気がついたことがある。それは二条城の石だけの庭の前に立ったときだ。今までいくつもの寺を案内され、それはそれは素敵な庭を沢山見せてもらったが、石だけの庭園を見た時に何故か一番気持ちが落ち着いた。そしてその時に昨日書いたように、時間を止めて静かにその傍にいたいと思ったのだ。見学と言う名の行為ではなく、そこにずっといてみたいと思った。結構イラの僕には珍しい発想だ。ここなら僕はかなりの時間を費やせると思った。大きな石が、ひょっとしたら自然に掘り出されたままの姿で池の中やほとりに並べられているだけなのだが、恐らく計算されつくしているのだろう。それが僕になんとも言えぬ心地よさを与えてくれた。  ほんの少しずつ、京都を理解でき始めた。人様のお役に少しだけ立てている間に、見えない形で自分も何かを手にしている事がよく分かる。何となくあらゆるものが手遅れの感はするが。