手抜き

 およそ芸術など理解できる感性を持ち合わせてはいないこちら側に問題があるのだろうかと自虐してしまいそうだ。こんなに相性の悪さを感じるものも滅多にない。何かしらの感動を得るものだが、今だ嘗て感動を覚えた記憶がない。自分の好きなジャンルなのに。  実は昨日、さぬきの鼓響の出演者で1つだけ敢えて抜かしたものがある。それはあの天下の鼓童だ。「女流和太鼓 響音」「仁尾竜翔太鼓」「鴨川福神太鼓」「和太鼓集団 響屋」「大野原龍王太鼓」「和太鼓集団 夢幻の会」「善通寺龍神太鼓」の熱演の後、特別ゲストとしてトリを任された鼓童メンバーが、夫婦で歌や太鼓や笛を披露するのだが、なんとも省エネで、2時間続いた熱演の後にはもう耐え難いテンションの下がりようで、途中で会場を抜け出した。女性が佐渡の民謡を歌い、御主人が太鼓を軽く打つのだが、とても会場を沸かせるものではない。もり下がるとはこのことだ。僕はネームバリューに媚びて演奏順を間違えたのだと思う。あの日の実力なら当然トップバッターしかありえない。最初から身を乗り出すようにして聴き続けていたかの国の女性たちも、全員が椅子に深く沈み込むような姿勢になっていた。見るからに退屈そうで、これなら終了を待たずに出ても嫌がられないと思った。案の定「リーリー(行こう)」と声を掛けると全員が分かっていたように席を立った。会場に出て「ゴメン」と謝ると「ニホンゴワカラナイ」と言っていた。  一昨年にもうなると思うが、岡山の市民会館で行われた鼓童のコンサートは、坂東玉三郎の演出とうたわれていたが、それはそれは芸術と言うより単なる手抜きにしか思えないほど低次元のものだった。その時の記憶が甦り「また、だまされた」状態だった。この不快な経験が一度だけなら自分の芸術を理解する能力がまだまだだと自分を責めることも出来るが、連続だし、僕と同じ経験をした太鼓集団のお世話をしている人と話す機会があって確信した。  ネームバリューがある分風当たりは強いと思うが、その風をまともに1度受けてみてもらいたい。円熟がどうも手抜きに見えるのは僕だけではないみたいですよ。