変化

 僕にとってはとても珍しいドライブだった。いつもはかの国の若い女性達と一緒なのだが、今日はこの国の若くない女性達と一緒だった。御歳80歳に乗るか乗らないかあたりの女性達だ。少しの距離でも杖が必要で、雨も降っていたので、正にドアtoドアだ。老人保健施設も渋川の瀬戸内マリンホテルも軒下まで車で侵入した。  結論から言うととても楽しい小ドライブだった。もっとも僕は企画した時点でそうなることは分かっていた。何故なら皆長年僕の薬局を利用してくれている人達で、長年幸せな思いをしていない人たちで、思ったことがそのまま口に出る人たちだからだ。飾り気のない田舎のおばあちゃんたちが、母が入っている特別養護老人ホームを見学したいと言ったので、ただそれだけではもったいないので玉野市にあるホテルのランチバイキングに招待したのだ。どうせいつものように母を見舞うのだから、同乗する人が誰でもいい。1人で行くよりは楽しい。まして口の周りの筋肉だけが衰えていない人たちばかりだから、賑やかな道中になるのは分かりきっていた。  期待にそぐわず、喋るわ喋るわ、噴出すことも多かった。日ごろのストレスなんか飛んでいって、楽しい半日だった。3時間くらい話し続けていたから、具体的な内容を紹介するのは困難だが、あの世代の総意がなんとなく分かった。口をそろえて出ていたのが「私らは損な世代じゃ。若い時は姑の顔色ばかり伺って、今は子供の顔色を伺って暮らしている」だった。男と同じ土方をし骨格をゆがめ痛みで歩けない人、疲労骨折で歩けない人、百姓で二重になっている人それぞれだが、共通していることは子供達から疎まれていること。それゆえに1人で暮らすことを選択し、それを肯定的に捉えていること、そして毎日が空しく過ぎていくこと。  母のことを薬局で話す機会が多かったから、そして僕が施設に感謝していることを口に出すから、是非その施設を見てみたいと頼まれたのだが、自分のために見たい人もいたし、100歳が近くなっている親のために見たい人もいた。ただ、そうは言っても自分のことが根底にはある。話の端々でそれは伝わってくる。どのように人生を終えるか、そのための場所探しの小ドライブだったが、見学の後は、判で推したような無味乾燥の日常から一瞬でも解放して上げたかった。ただ、この企ては大いに中って、何度も何度も美味しいと楽しいと言う言葉を繰り返してくれた。もう悟りの境地に近づいた人たちにはドロドロとした欲望がないから結構気持ちよい時間を共有できる。「又来たいわー」と口から出た言葉に、すかさず「又一緒にきましょう、みんなの日程を合わせて!」と答えたのは、かの国の若い女性達と比べて勝るとも劣らない楽しい時間を過ごすことが出来たからだ。年齢のせいか、職業のせいかわからないが、自分の中のいくつもの変化をこれから少しの間楽しんでみようと思う。