家族

 その女性は、僕の目の前のソファーに陣取り、僕を食い入るように見ていた。その周りにも、僕のソファーにも何人か腰掛けていたのだが、彼女の視線を最も感じた。そして沢山の楽しい会話の後通訳を介して「どうして私達に親切にするのか?」と尋ねられた。僕は既に10年近くかの国の女性達と親しくしているが、最初にめぐり合った女性達が勤勉で謙遜で、そして心優しかったことで僕が親近感を持ったことを伝えた。  その理由を彼女が信じていなかったのは後日わかった。後日祭りの手伝いに来てくれたときに、来日して間もない6人を我が家に案内した。僕が薬剤師だということも知らなかったし、薬局と言うものがどんなものかも知らなかったみたいで、興味深そうに薬局の中を見て回っていた。そして彼女が言ったのが「お父さんが親切な理由がわかった」だ。僕が薬剤師だからと言うのだが、実際にはそれは関係ない。僕は懸命に働く人が好きなのだ。働く人が牛窓の中を制服姿でうろうろするのが好きなのだ。  彼女達を福山の第九のコンサートと尾道観光に連れて行ったときに、後部座席でかの国の言葉でずっと話をしていた。話し相手が同居している次女三女だったので、その内容をこれもまた後日聞いた。それによると、夫の暴力で離婚したそうで、それ以来極度の男性不信だったらしい。不信と言うより恐怖かもしれない。ただ僕はその先入観を覆すことが出来たみたいで、以来いつも笑顔で僕の近くに陣取り、日本の風習などに興味を示した。それに応えるべく、多くの文化的なイベントに連れて行ってあげて、濃密な3ヶ月を過ごして昨日帰っていった。  帰る前の日に2つ目の相談を受けた。1つ目は僕に気を許すようになってから自身がB型肝炎であることを教えてくれたのだが、2つ目は1人娘の相談だったのだが、日本で言う発達障害みたいな症状だった。何でこんなに抱えることが多いのだろうと、その女性がいとおしくなった。自身のトラブルもお嬢さんのことも、日本で出来ることを教えていずれかの国でも誰だって同じ治療を受けられるようになることを伝えた。希望を持って、情報を日々求め暮らしていれば解決することを伝えたかった。勤勉な人たちが多い国だから、今の日本レベルにはそんなに遠くない将来なるだろうから。  別れる夜に、何か心残りはないかと尋ねたら、その女性は「もう1度、おばあちゃん(施設に入所している僕の母)に会いたかった」と言った。僕が彼女達に心から尽くしたいと思う理由がこの一言に現れている。僕はこうした素朴な愛を今だ嘗て受けたことはない。僕にとって家族とは彼女達のことかもしれない。