時空

 まだ仕事をしている薬局の2階で、かの国の若い女性達が夕食を作ってくれている。既婚の女性が一人いて、その子がどうやら料理が得意なのだ。10代の若い子が「ジョウズ、ジョウズ」と自慢する。僕はそのたびに大きな鮫を想像するのだが、主語も述語もなければ映画のタイトルかと思う。 せっかくの好意だから有り難く頂こうと思っているが、どうか味付けだけはしないでおいて欲しい。日本のしょうゆかソースをかけて食べればどんな料理も食べられることを発見してから、こそっとそうして頂いているのだが目の前に腰掛けられたらその手は通用しない。こんなに僕が日本人的で融通が利かないとは思っていなかったが、長年染みついた味覚を好奇心がはねのけることは出来ないみたいだ。完全なる和風総本家の自分を彼女たちとの交流で発見させてもらった。  ただ彼女たちの好意は有り難い。手間暇かけて作ってくれたもてなしが嬉しい。安直にお店で買ってきたものでお返しするのが気恥ずかしくなるくらいだ。どんなに老舗の高級なものをお返しにしても、どう見ても負けて見える。何かの親切くらいが関の山だが、親切に値段は付かないからそれでやっとつじつまが合わせられるくらいだ。  二人の細くてしなやかな指がその国の人の勤勉さを物語っているのかどうか知らないが、片言の日本語で談笑しているうちに、自分が歩んできた道、いや歩き方そのものが空しく感じたりする。嘗て世界最強の国を敵に回して命をかけた人々の孫達のイメージがどうしても湧かない。僕が二人と同じ年の頃、大学の研究室で誰かが「サイゴンが陥落した」と教えてくれた。腰まで髪が伸びていた僕は訳も分からず喜んだものだ。何十年たって、あの頃の感動ものの孫達が目の前に現れるなんて。とてつもない大きな出来事も歳月によって粉々にされ時空を越えてやってくる。