決断

 他の方にもこんなタイプは多いのではないかと思うが、自分でも嫌になる。  何かやりたいと思えばすぐに道具をそろえる。サクソホーンもその中のひとつだ。テイクファイブをサクソフォーンで吹いてみたいと思っていたから買った。もう10年位前のことだ。教則本を買ってきてやってみたが埒が明かない。そこで偶然ある若者を知って頼んで教えてもらい始めたが、すぐに結婚を機に終わった。数回教えてもらっただけで何も残らなかった。その後サクソフォーンに触ることはなかった。娘が一時興味を示し、アパートに持って帰ったが、就職と同時に丁寧な梱包で送り返されてきた。以来押入れの高いところに閉じ込めていたから、僕の目にも心にも触れることはなかった。  玉野教会に来ているかの国の姉妹を丸亀の第九に連れて行ったときに「オトウサン バイオリン ジョウズ サクスフォーン ジョウズ」と言った。かの国の人が、その子たちのお父さんと言う年齢の人が、サクソフォーンとバイオリン?正直耳を疑った。しかし、よくよく聞いてみると、教会で演奏する係りだそうで、それなら納得だ。ところがかの国のサクソフォーンは質がとても悪くて、お父さんはかねがね日本の楽器を欲しがっていたらしい。その憧れの日本に娘達が働きに来たことになる。父親の夢を知っていたから、日本で買えないか調べたらしいが、とても手が出る値段ではないことを知って諦めていたらしい。何の目的もないごく普通の会話だったのだが、僕はその瞬間決めた。あの使われずに眠っているサクソフォーンをプレゼントして、是非楽器に命を与えてもらおうと。このまま僕のところに置いていては、恐らく楽器として使われることは二度とないだろう。恐らく大きなゴミとして僕が死んでから捨てられるはずだ。それなら、吹ける人、そして欲しい人の手に渡そうと決めた。  2人を3階に案内し、押入れを開けおもむろに梱包された大きな荷物を下ろした。娘が送ってきたまましまっていたので、送り状にサクソフォーンと書いてある。それを見つけた姉妹は、言葉にならないような大声を上げて驚いていた。姉のほうは涙を隠すようにしゃがみ込み、妹は機関銃のように「アリガトウゴザイマス」を繰り返した。その後、つたない日本語で、もらうわけには行かないようなことを繰り返したが、一緒に3階に上がってきた次女に、母国語でオトウサンの真意を説明するように頼んだ。次女は僕の性格を知りきっているので、頷いてから何か喋っていた。僕はその言葉を理解できないが、彼女を信頼しているので任せた。すると二人はわかってくれたみたいで、感謝の気持ちだけを口にするようになった。  2人の喜びようを見て、僕の判断が正しかったことが分かった。と言うのは本当は少しは迷ったのだ。何かのきっかけでサクスフォーンを吹けるチャンスが巡ってくるのではないかと思ったのだ。しかし、この10年そんなチャンスが巡ってこなかったのに、ますます老いるこれから余計そんなチャンスにめぐり合うとは思えない。そしてこのサクスフォーンにとってどういう選択が一番いいのかを考えて、あのような決断をした。僕にとってはほとんど粗大ゴミでしかない楽器が、人々を感動させることが出来るかもしれない。  手放すことで価値が生まれるなんて、持ち主にとっては屈辱的だが、これからの僕に可能性として残っているのは、良い演奏が出来る人になることではなく、良い演奏を楽しむことが出来る人間であることだ。そう考えると断捨離は心を軽くしてくれる。