大原美術館

 最近の過敏性腸症候群の完治ストーリーはこうだ。 牛窓を自由に散策して貰う。特に夕日百景に選ばれている夕日を眺める。自分の煎じ薬を作ってみる。漢方薬の勉強に来ている優しい女性薬剤師に打ち明けてみる。娘の体験談や克服した経緯を聞く。フェリーに乗って四国の高松にかの国の女性達と行き、ショッピングをしたり有名なうどんを食べる。こうすれば何故か治る。  ところがあいにく予定していた今日の高松行きは波浪注意報で取りやめた。大切な人をあずかっているのに危険に会わせることは出来ないし、それよりも荒れた海で船酔いしてしまいそうだ。そこで考えたのが若者に人気のある倉敷に連れて行ってあげることだ。雨が少し降っていたが傘さえあれば雨降りの風情も又いいのではないかと思ったのだ。北陸の女性は勿論かの国の女性も初めてだから喜んでくれると思った。  案の定、観光地として整備されている街並みに北陸の女性は感心していたし、かの国の女性達は、遅れ遅れするほど景色や街並みを堪能していた。限られている時間の中で僕がどうしても案内したかったのは月並みだがやはり大原美術館だ。今まで数組の人を案内してきたが、訪れる度の「絵が分からない」状態から、「絵が分かる」状態になりたいと言う自分の欲求もある。 正直今日も「絵が分からない」状態で帰ってきたのだが、モネかマネか知らないが、エルグレコかエルグリコか知らないが、どうも名前ばかりに目がいってしまう。肝心の絵に対しては情けないけれど「上手」位の感想しかないのだ。やはり大原美術館では、偶然同じペースで鑑賞していた見ず知らずのベレー帽姿の女性のように、あごを出し口をすぼめて色合いがどうのとか、筆遣いがどうのとか独り言を言わなければならないのだ。 ただかの国の女性は、特に若い方は、最初裸の絵を茶化していたが、そのうち真剣に見入るようになった。彼女の短時間の変化に驚いた。若い感性が何かを捕まえたのだろうか。それだけで今日は良しと思った。  いやいやそれだけではない。北陸の女性は、狭い車での移動にほとんど動じなかったし、有名なうどん店や柳が雨に濡れる水路を眺めながらの茶店でのコーヒーも(外食)、何年来のことと言いながら楽しんでくれた。是非彼女の同意をとって克服した症状を後日報告したいと思っている。同じ症状で苦しんでいる人にとてつもない希望の光をもたらしてくれると思うから。今まで800人近く過敏性腸症候群の人を世話してきたが、彼女の苦悩はあまり例がなかったので。  ジンクスに頼るまでもなくすでに彼女は完治に近いだろう。とても出来た女性で裏方の仕事をとてもよく手伝ってくれる。娘はずっといて欲しいと言っている。それだけ家族中が助かっている。もし彼女が完治しなければ本当に留まるように提案しようと思っていたが、今の状態では寧ろその提案が彼女のこれからを邪魔してしまいそうだ。家に帰ったら、消去法でなく、自分のやりたいことを主に仕事を探すと言っていたから。  今日はとても心地よい休日を過ごさせて貰った。こうした弛緩した時間が僕の心身の歪みを最も修復してくれる。