焼肉

 「焼肉食べていく?」と尋ねると、とてもいい顔で噴出した。そしてその笑いが随分と長い時間続いたように僕には思えた。こんなにいい笑顔をするんだと嬉しかった。  丁度いいタイミングだった。2ヶ月我が家に滞在していた子が帰国するから、最後の夜に焼肉をと、いとも安易に夕食を決めていたのを昼に耳にしていた。あの国の人間は、超食べず嫌いで、2ヶ月間日本にいたのにほとんど日本食を食べなかった。平均寿命が50歳代の国から80歳代の国にやって来てなお母国のものしか食べないのだから、「何しに来たんや!」と関西弁で言いたくなる。そんな食わず嫌いでも日本の焼肉はやわらかくて美味しいからよく食べる。不思議なのだが焼肉だけは何処の国から来た人でも喜ぶ。国で食べるのは硬くてまずいからだ。  話がそれてしまったから元に戻すが、僕が誘った女性は正に数ヶ月前に胃の不調で相談に来てくれた女性で、最近はほぼ完治に手が届いている。病院の治療で改善しなかったので、僕のところに来たときはそれこそ表情が暗く辛そうだった。消化器系の不快さもあるのだが、病院で治らなかったことがかなりショックだったみたいで、必要以上に落ち込んでいるように見えた。幸い徐々によくなってくれて、今ではよほどの不摂生をしない限り調子を崩さない。そんな時に彼女の口から「以前のように何の心配もせずに焼肉が食べてみたい」と言う話が出たのだ。そこで間髪をいれずに彼女を誘った。僕の返事のタイミングのよさに、いや正に2階で焼肉の用意をしているという絶妙のタイミングが彼女には受けたらしくて、本当に心から笑ってくれた。  こんな笑いを見せられると、漢方薬の勉強を続けてきてよかったなと思う。現代医学で治らないものは漢方薬で対処するしかない。僕は先生に恵まれたおかげでかなり効く漢方薬を作ることが出来るようになった。年とともに、引退がちらつき始めるのだが、何故か最近僕の仕事量は増えている。年齢でしか治せないものもあるのかと、嘗て若い頃先輩達を見てて思ったことが甦る。毎日毎日、40年間沢山の人と接した。肌で感じたことも多く、そうした公式では表せない機微が、処方の選択に反映されるのだろうか。そして年齢とともにとんがったところが無くなり、来て下さる人たちと大いに笑い合えるところも貢献しているのではないか。笑うことが出来る人は治る。僕の勝手な解釈だが、笑っているときの脱力感は薬なんかではとても作り出せない。  結局その女性は焼肉を食べてはくれなかったが、僕は治ってもらえるなら、焼肉でもホルモンでも御馳走する。超早食いの僕が食べ終わって、じっと正面で見つめる中で美味しく食べることが出来れば完治だ。