無理

 不本意ながら4月に帰国しなければならない青年が僕に名刺をくれと言った。僕は名刺を持ったことがないと答えるとノートを取り出し僕に住所を書くように言った。国に帰ったら連絡しますということだが、日本語を勉強して又日本に来ますということだった。それは失意の彼女に僕が言い続けていたことで、離れる日が決まって、やっとその気になってくれたのだろう。年末に僕を頼ってきた他の二人と最近渋川のホテルで食事をし、色々彼女達に日本の事情を教えてもらっていたから、何とかなると思ったのかもしれない。僕もその二人が日本でやっていける算段を色々とつけたから、もう後に続く人たちの世話はできる。最低限の生活費を稼ぎ、勉強を中心の生活ができる方法も見つけたから、留学と言う名の出稼ぎをさせる必要はない。本当に学び、その結果、やりがいのある評価の高い職業に就ければ、関わったものとしては喜びだ。僕はそうした手助けなら出来る。  「オトウサン、ワタシカエッタラ ベトナムニ キテクダサイ」と言うから「行くから、ホームステイさせてね」と言うと、心から嬉しそうな顔をして、ユーチューブを操作し始めた。そして僕のほうに画面を向けると「オトウサン コレ ワタシノ フルサト」と言って、彼女もまた画面を覗き込んだ。遠くに低い丘が見え、その手前には延々と田んぼが広がっていた。そして次の場面では、牛が田を耕す光景、そして子供たちが川で遊び、漁師が川で小魚を網で取っている。庭先で鶏が遊び、男達は上半身裸で、寝そべったり椅子に腰掛けタバコを吸っている。牛窓でもこんな光景はない。僕らが子供の時よりももっと前時代的に思えた。  僕が尋ねもしないのに「オトウサン オフロ ナイ」と説明してくれたが、何故唐突にそう言ったのか分からない。一緒に画面を覗いていた通訳の女性が「オトウサン蛭って知っていますか?」と尋ねるから身振り手振りで知っていることを伝えた。すると「あの川の中、蛭が一杯。あの川がお風呂です」と教えてくれた。丁度その時台所から一人の女性がウインナーソーセージを持ってきてくれた。妙に袋が赤かったが形も大きさも日本のものと同じくらいだった。市販のものだからきっと美味しいのだろうと思って安心して食べたら、パサパサして味は魚肉のように思えた。一言で言うとまずかった。何の肉かと思って確認すると豚肉で出来ているそうだ。到底豚肉には思えなかったが、そもそも塩気がない。ウインナーもハムも、塩気がないものはいただけない。臭みが強調されえずきそうだった。持ってきてくれた女性は絵が好きな女性で大原美術館の滞在記録を伸ばしそうなくらい熱心に鑑賞してくれたのだが、そしてたぶん、ソーセージはその時のお礼なのだろうが、正直に「オトウサン イラナイ」と答えた。一口食べた後、全部食べてと表情で促されたのだが、「無理!」  気になったのでホーチミンからどのくらい時間がかかるのと尋ねると、車で8時間だと言っていた。向こうの8時間とこちらの8時間は全く距離が違う。しかしどんな道をどんな車が走っているかは想像つく。僕が大きく体を左右に倒す仕草をすると通訳が「そう、そう」と言いながら笑っていた。図星なのだろう。  その後通訳の故郷付近のユーチューブも見せてくれた。同じような光景が映っていた。そして続々と集まっていた青年達の前で僕は言った。「オトウサン ベトナム イカナイ 無理!」