ゼンザイ

 駐車場で煎じ薬を攪拌する作業を終えて裏口の戸を開けると、「オトウサン ゼンザイ」と言いながら、顔の前に小豆色の液体が入ったタッパウェアを差し出された。二人のかの国の女性が嬉しそうな顔で笑っていた。ゼンザイという言葉とそのものは2ヶ月くらい前に倉敷観光に連れて行ってあげた時、大原美術館の傍のレストランで食べさせてあげて覚えたものだ。当時美味しい美味しいと言いながら食べていたが、一人の女性はとても料理が好きでかなり興味を示していた。テーブルに運ばれてきたものをしげしげと眺めながら「コレハナンデスカ?」と尋ねられたが、僕は「大豆とお餅」くらいしか答えられなかった。  もうそんなことは忘れていた。だから目の前に出されたものが、彼女たちによって作られたものとは思わなかった。近所の優しい農家のおばあさんにでも貰ったのかと思った。ところが「どうしたの?」と尋ねると、「ワタシ ツクッタ」と年長の料理が得意な方が答えた。容器を手に取るとまだ温かい。さっき作って寒い中を自転車で持ってきてくれたことが分かる。それも夜勤に出る前に。ところが僕の例のかの国の料理拒絶症が出て、あまり嬉しくはなかった。恐る恐る蓋を開けると案の定、いつものココナツミルクの香りがした。見ると表面に油が浮いている。ここで本来ならギブアップなのだが、それ以外にはまさしくゼンザイに見えるし、中にある白いものもまた、正真正銘の白玉に見えたのだ。お餅入りのぜんざいも美味しいが、白玉入りのゼンザイは尚好きなので、意を決して一口汁をすすってみた。するとなんと言うことでしょう(ここはビフォーアフターの女性のナレーション風に読む)結構美味しいのだ。確かにココナツの甘い香りはするが、ミル金を食べているような感じだった。ミル金と思えば別に抵抗はない。小豆の歯ごたえ、例の白玉の食感、日本のものとまるっきり同じだった。こうなると俄然僕の口も軽くなって、もうその後は褒めまくりだ。もう一杯だけお代わりをし、3時の楽しいおやつを頂いた。 本当に料理が好きで得意な人は、食べただけで同じようなものを再現できるんだと感心した。車で走っているときに、レストランや喫茶店を見つけると「オトウサン、イクラデスカ?」と建物の金額を聞かれる。かの国で料理の店を開いていた両親の血が騒ぐのか、金額を尋ねてはそのあまりの高さにショックを隠そうとしない。この国にいる間出来るだけの希望を叶えてあげたいと思っているが、このことだけは僕には手助けすることが出来ない。 あれだけ国に帰りたいと言っていた女性が、今は近づいた帰国が恨めしくて涙を流す。その都度僕も心の中で同じ涙を流すが、顔ではいつも笑っている。能力を最大限に生かす所こそが彼女たちの帰るところ、行くところであるべきで、一時のセンチメンタルで足を引っ張りたくはない。ただ僕はこの国の田舎で暮らす人達の善良を、終生忘れないでいて欲しいと思うだけだ。