四季の歌

 その光景を見ながら僕は気がついた。この女性達ともう10年近くなる付き合いは、この圧倒的な笑いの多さなのだと。彼女達もよく笑い、僕も良く笑う。その脱力した関係が心地よくて人は代わっても次から次へと同じ関係が受け継がれているのだ。  午後3時だと日差しも強く、さすがに施設の人も心配してくれたが、僕は木陰だと風が気持ちよいことを知っていたので母を連れ出した。そして木陰に陣取ったのだが、母の周りをかの国の女性4人が囲んで、1人は1時間母をあきさせないように喋り続けた。 そして他の2人は母の両手をさすり、他の一人は優しく肩をもんでくれた。母は何度も「うれしい、うれしい」を繰り返していた。そしておしゃべりは延々と続き、あるときかの国の女性が「オバアチャン、ウタヲウタイマショウ」と提案してゆっくりとしたリズムで四季の唄を歌い始めた。そして母に歌うように促すと、母もつられるように歌い始めた。明らかに歌詞を思い出したみたいで口真似ではなかった。ビフォーアフターならここで「なんて言うことでしょう」と言うナレーションが入るところだ。  以前とは違う面子なのに、ほとんど同じような光景が繰り広げられた。かの国の人たちがお年寄りを大切にすることがよくわかる。彼女達のおかげで、姥捨ての罪悪感から幾度となく僕自身が解放されている。彼女達の母に対する接し方を見ていると、平生、僕が彼女達にしてあげていることのなんと薄っぺらいことと恥ずかしくなる。僕の行為にあふれんばかりの愛情があるか問われているような気がする。