偏差値

 僕と同世代の男性が特別養護老人ホームから出てきて車に乗った。そして10台くらいしか置けない駐車場から出て行く時に窓を開けて手を振った。珍しい光景だから目に付いた。そして手を振っている先を眺めると、玄関で手を振っている老婆がいた。  ほとんどの人が痴呆のその施設の中では一際しっかりしているおばあさんだ。僕が施設のロビーに入って行くと必ずそのおばあさんは僕を物色する。僕は勝手に、しばしば施設に親を訪ねてくる息子がいることが妬ましいのではないかと勘ぐっていたが、そのおばあさんにもちゃんと訪ねてくる人がいるんだと安心した。それも別れ際まで手を振り合える息子さんが。  その後男性が予期せぬ動きをした。僕は母を連れ出して駐車場の木陰でかの国の女性たちの力を借りて親孝行をしていたのだが、その光景が丸見えだったのだ。男性は車を数メートル動かすとすぐさまゆっくりとバックしてきた。と言うのは、ほんの数メートル車を動かせば玄関からは見えなくなってしまうのだ。だから当然息子さんが帰ったと思って施設に入っていくだろうと思うが、息子さんはそれが心配だったのだ。僕にとっては不可解な動きに思えたが、男性は母親が施設に戻ってくれるかどうかが心配だったのだ。男性が車をそっと後戻りさせたときには、母親は既に背中を向けて施設に入ろうとしていた。それを見届けた男性は今度は本当に車を運転して駐車場から出て行った。まるで映画の一シーンの様な体験をした。  いくつかの偶然が重なって目撃できた名シーンだが、この国では今この瞬間でも繰り返されている光景だ。さまざまな感情が交錯して、正答がない問題を人は解き続けている。僕もその中の1人だが、今日素敵な解答をカンニングできたから、もう少しでも偏差値を上げれたらと思っている。