獣道

 来年からと言っても夜が明ければすぐなのだが、朝の開店を30分だけ遅くしてもらうことにした。30年以上、朝の8時から夜の8時まで薬局を開けていたが、正直体力がついていかなくなった。僕の薬局は田舎にあるため、朝早く僕の薬局の前を通って出勤し、夜遅く僕の前を通って帰宅する人が多い。その方達の利便性を考慮して、又両親が朝7時から夜9時まで薬局を開いていたのを見て育ったので、12時間労働なんて何でもなかったのだが、昔と今の薬局の業務が変わってしまって、1日中下を向いているような姿勢で、これがかなり体にダメージを与える。決して上を向いて、又正面を向いて堂々と生きるようなたちではないが、下を向きっぱなしの姿勢は結構こたえるようになった。その時間帯に来られる常連の人達に今声をかけて理解を求めている。快く皆さん納得してくれるが、それも又心苦しい。 不思議に思うかも知れないが、又頼りなく思うかも知れないが、僕は心も身体も健康で過ごすことが出来る日などこの数年1日もない。果てしない倦怠感と体の痛み、それと心の動揺に四六時中襲われている。まだ若い頃は不調と言っても今とは全然趣を異にしていた。必ず回復するものという大前提が全てを支配していたのだ。だから不調の向こうに不安はなかった。少しだけおとなしくしていれば全て回復した。ところが最近は、不調は回復するものではなく、気まぐれによい日も作ってくれるが、基本的には不調こそが日常と教えられる。ああ、これが老いというものかと日々未知なる体験を強要されている。そうしてみると、僕より一回りも二回りも上の人達がかくしゃくとしているのは、ほとんど尊敬に値する。余程ストレスが無く、余程肉体を温存してきたのだろうかとうがった見方をしてしまう。 さて、この日々の不快感もただ一つ良いことをもたらす。それは、僕の後を追っている人達の苦しみが手に取るように分かるって言うことだ。知識ではなく、体感で分かってしまうのだ。そのおかげでより本質に迫れる薬が作れる。そのおかげで、なんとか相談者の7割の方に満足してもらうという自分に科した目標が越えられる。青春の心の挫折も分かるし、活躍を期待されている世代の躓きも分かる。腰や首を痛めて日常の生活の質が悪化するストレスも分かる。そして何よりもそこから脱出する手段や処方が分かる。なかなか現代医学でも難しいところが、生薬と拙い僕の体験談でお世話できる。  行く年を惜しむ理由もないし、来る年に期待することもない。ただ縁あって僕の薬を飲まざるを得なかった人達の不調が消えてくれることをひたすら願うだけだ。僕の一番の幸せを上げろと言われれば、迷わず多くの善良な方たちに薬を飲んでいただけるって事だ。失意のうちに牛窓に帰ってきた事が結果的には僕の職業人としての価値を生んでくれた。自分の望むことが全て裏目に出てたどり着いたところが生き甲斐を与えてくれた。今失意のうちにある人も、何が幸いするか分からない。何も持っていなくても、目の前にいる人をくすっと笑わせることが出来ればそれでまずは十分なのだ。そんな積み重ねで各々が歩むべき道が見つかる。誰も通らない獣道でもいいではないか。