飽き性

 超飽き性の僕でも時々何故か続くものがある。このブログもひょっとしたらそのうちの一つかもしれない。元々は、薬剤師がお膳立てしてくれて、僕の薬を飲んでくれているまだ見ぬ人達に、僕や、栄町ヤマト薬局を少しでも理解してもらうためだった。唯一それだけを目的に始めた。今でも恐らくそれが唯一の目的に違いないが、只こうなれば書き続けることも目的化してしまっているような気もする。毎晩ページを開いてくれる人達に白紙は余りにも失礼なような気がして、余程健康を害しない限り書き続けた。その結果、皆さんに読んで頂いた回数が100万回を越えた。敢えて祝う程のものではないからそっと通り過ぎるが、素人の文章を寛容な心で読んで頂いていることに感謝する。  実は、ブログで読んで頂いている以上の文章を僕は毎日何人かから頂いている。毎日入れ替わり立ち替わりだから、色々な個性に巡り会うことができる。何年もその様な文章を頂いて、多くの方の生き方を垣間見せられた。ぼくと接点が出来る人は何らかの不調を抱えているが、その不調は湧いてでたものでもなく、親からもらったものでもない。効率を重視し、浅い呼吸で回転している現代の交換神経優位の社会の有り様を、まともに精神に反映させた人達なのだ。誰もが過度に自分自身を鼓舞し、超人を気取らなければ生きていけないのだ。そんな仮初めが長く続くはずがない。いつか息も絶え絶えになって部屋に鍵をかける。  飽きもせずに毎日数時間パチンコ屋の中で過ごした青年は、飽きもせず薬局で12時間毎日働いた。どうあがいても抜けることが出来なかったあの6年間の金縛りは何だったのだろうと、未だ夢でうなされるが、不思議なことにそれ以降の人生を生きる価値観はあの6年間に培ったものなのだ。どんどん落ちていく感覚にあがなうことが出来ずに、安物のタバコをくわえ、パチンコのバネを弾くことで膨大な量の時間から逃げていた。何も生産しなかったあの6年間に、皮肉なことに誰にも譲れない価値観だけは作れていた。自分の拠り所だけは探し当てていた。  多くの悩める人達に自慢できる足跡を残していないし、教訓じみた原体験もない。只ひたすらバネに弾かれる玉を目で追っているだけでも、時は流れた。時間に意味を持たせることで何かが許されるとしたらぼくは永久に逃亡者だった。意味のない非生産的な、泥沼のような惰性を嘆くことはない。明日が変わらないなんて誰にも言えないのだから、力む必要はない。