田の神さあ

 田の神様がなまって「田の神さあ」になったのだろう。鹿児島県の農村地帯にまるでお地蔵様のように石で出来た「田の神さあ」が奉られている。田圃の傍や農道の縁、家の庭などに奉られている。ユーモア溢れるものや個性的なものが多くてどこか統一性が無いように思われるが、お百姓の米作りにかける共通の思いは、根底で脈々と流れている。 どこか整っていない感じがするのは、恐らく手作りに近いからではないか。専門の職人が作ったようには見えない。そこかしこに1000体以上あるらしいから、昔、農家の方が自分たちで作ったのかもしれない。田植えの前には豊作を願い、稲刈りの後には収穫を感謝し、災害から守ってくれることにも感謝を忘れない。毎日語りかけるようにお世話をする光景がテレビで放映されていた。  自然を相手の仕事だから、お百姓さん達ははるか高いところに向かって祈るしかなかったのだろう。その見えない大きな力に神を感じ、その力を目に見えるものに表したのが「田の神さあ」なのだろう。日常の中に溶け込んでいる神様に対する敬愛と親しみが農家の方達の表情の中に伺われる。あの屈託のない信仰がその土地の風土を築き、人の心を穏やかにしている。日本の原風景を思わせる田園風景を守り続けている人達に思わず感謝したくなる。あの人達によって大地は守られていると言っても過言ではない。空気も水も、勿論食料も、いやいや日本人特有の奥深い人情さえも、あの人達のおかげでまだ汚れることなく享受できる。  この国の中の此処彼処で失われたもの、もう取り返しがつかないものの多くをあの人達はまだ残してくれている。これ以上進んだら、これ以上欲張ったら、これ以上失ったら取り返しがつかなくなる辺りにたむろしている人達の安全弁に、いつまで寛容でいてくれるだろう。「田の神さあ」を担いでひょうきんに踊る姿に涙腺が緩むのは何故だろう。