笑顔

 どうしてあれだけの不快症状で困っているのに、笑顔を振りまいておれるのだろうかと思う人がいる。30年前の交通事故の後遺症で、頚椎を傷め、自律神経のバランスを崩したゆえの症状と、神経を傷めた症状のダブルだ。想像がつかない人のためにほんの一例を紹介すると、冷たい風で髪の毛が揺れても頭皮が痛い。背中がつって痛い。乳房を持ち上げていないと胸が苦しい。くしゃみしただけで顎関節とこめかみが痛む。そして極めつけは、首の痛みで帽子をかぶることが出来ないだ。帽子が重過ぎるのだ。  春からお世話を始めて、恐らく症状は半分以上取れたと思う。本人もそれは自覚してくれていて、ますます笑顔がさえる。他の人が同じ症状を持っていたら果たして自然な笑顔が出るだろうか。ただ、ここまではあくまで伏線でこの後が大切だ。  僕より少しだけ若い。農家に嫁いでお百姓を手伝っている。あれだけの症状を持っての手伝いだから、どれだけ苦痛な作業か想像はつく。それでも毎年やり遂げている。当然今年も十分手伝って、稲刈りも済んで後数日働くだけらしい。そんな彼女が、自分よりもおじいさんやおばあさんのことを褒めた。80台半ばらしいが、とてもよく働くらしい。若夫婦の手伝いをしてくれるのだ。農家の方なら年寄りも働くのは当たり前かもしれないが、この義理のご両親は持っているものが違う。義父は心筋梗塞脳梗塞、義母は心臓弁膜症と脳腫瘍。これらの病気を持ちながら、田んぼに出て手伝ってくれるのだ。「よく働くでしょう」と言うが、本当によく働く。どちらもいつ逝ってもおかしくないような持病なのに、感心するくらい働くらしい。ただひたすら働いてきたあの世代の特徴だろうか。  この方々は牛窓の人ではないが、牛窓のお百姓だって恐らく同じだ。皆とてもよく働く。家族に迷惑をかけてしまうという意識が強いから働けないのは屈辱なのだ。だから、「申し訳ない」と言う言葉をよく使う。僕が幸運なのは、そうした人たちを子供の頃からずっと見て、接して来れたことだ。だからおのずと感謝の気持ちが育つ。見かけは決してスマートではないが、彼らこそ僕らの命のよりどころってことを自然に学ぶ。だから親しみを持ち尊敬もする。肉体を機械のごとく酷使して、辛い老後に待たれていても、それでも懸命に働く人たちに、感謝せずにはいられない。だから僕にはグルメなどと言うものはないのだ。お腹が満たされれば十分なのだ。舌が満たされなくても胃袋が満たされれば十分なのだ。魚に味噌汁に菜っ葉にたくあん。お代わりができれば幸せ。