変ホ長調

 今年はきっといいことがある。元旦にお年玉をもらった。誰からもらったのか分からないが、確かについさっきまで誰かのものだったに違いない。僕の前に何人がその上を通ったのか知らないが、そして見て見ぬ振りをした人が何人いたのか知らないが、僕は有り難く煉瓦敷きの通路からお年玉をもらった。 プロのソプラノ歌手を偶然車で玉野市から岡山市まで送ることになった。時々無料でその歌声を聞くことが出来るので幸運なのだが、車中少しだけ経歴などを聞くことが出来た。僕はその辺りにはすこぶる無関心なのだが、妻がじんわりと聞き出すのでそれを聞いていた。その辺りは女性が得意なのかもしれない。  全く彼女の世界と接点がないので、上げられる人物名や曲名などはほとんど理解不能だった。元々演劇出身だったそうだが、イタリアに留学してオペラを学んだらしい。なるほどスリムな体なのに、高音部の声量たるや、その他大勢の20人くらいがかかっていっても負けてしまう。僕は20数人の歌声の中で彼女の声を拾い感慨に浸っている。何処の国でどの言語でどの唄を歌う等、プロならではの気遣いなどが聞かれ興味深かった。何十年も狭い空間で薬品だけと向かい合っている人間にとっては、羨ましいくらいの行動力なのだが、環境が許すからいざそれをしてみろと言われれば、やはり後に引く。気力体力はもちろんだが、何にも増して好奇心がない。行動の起点からその資格を失っている。振り返れば、思春期、青年期を通して好奇心に富んでいたとは言えない。ニヒルと無気力を混同して酔っぱらいのろれつのように生きてきた。やりたいことも、出来ることの前で敵前逃亡し、頓挫の山をどんぶりによそってカッ食らっていた。10円玉2つを煉瓦の保護色から見破る眼光も、自分の生き方だけは見通せなかった。  後部座席で笑う彼女の笑い声がとても印象的だった。ごく普通の人と全く同じ笑い声だったから。僕はプロの歌手は変ホ長調で笑うのかと思っていた。