野良猫

 近所のあるおじいさんは、歩くのがかなり不自由になっても、自活している。一時、嫁いだお嬢さんの薦めで特別養護老人ホームに入居したが、自由気ままに暮らしてきていたことと、そんなにまだぼけていないので飛び出して帰ってきた。「あんなやつらとは一緒におれんわ」と入れ歯のないもぐもぐ口で語っていた。  しかし、足腰の衰えは相変わらずで、片道1車線道路を横切るにしても並大抵ではない。遙か向こうに車が見えていても、下手をすると渡りきらない前にその車が通りすぎてしまう。だから運転手にとっては、その家の前は要徐行区間なのだ。暗黙のルールが出来上がっている。  そのおじいさんはとても優しい気持ちの持ち主で、野良猫に毎日えさをやっている。家には何匹も住みついて、もはや野良猫とは言えなくなっているかもしれない。おじいさんが足が不自由なことを知っている猫は、とても利口で、おじいさんがスーパーに買い物に行った帰りには、必ず道路の半分(白線)まで迎えに出る。そしておじいさんと一緒にゆっくりと家のブロック塀まで帰る。そこには数匹の猫が待っている。あいにくその場面に遭遇した車はおじいさんと猫が一緒に渡るのを根気強く待つことになるが、誰もその光景にいらついたりはしない。安全に渡りきるまで待ってあげる。  調剤室から見える光景なのだろう、娘がこう説明してくれた。犬が頭がよいのは飼っているから分かるが、「猫も頭がいいんだね」と感慨深げだった。  この話を聞いて「道の半分まで迎えに出る猫は、一番卑しいんだろう。おじいさんが魚を買って帰ってくるまで待てないんじゃないの。」と僕は評論した。娘のロマンティックな想像を一瞬にして壊してしまった。この性格何とかならないものか。まるで結果を問われない経済や政治の評論家と同じではないか。何も産まないくだらない感想。自己嫌悪。猫より劣る。