どこの猫か知らないが、僕の数十メートル先の道路を一目散に走って渡った。辺りがやっと明るくなったばかりで、猫の向こう側100メートルくらい、こちら側数百メートル以上、車が近寄る気配はなかった。と言うより全く車の音はしなかったから、ゆっくり歩いて渡ればいいと思うのだが、わき目もふらず猫独特の横断風景だった。  昔の猫もあのように道を渡るときに一目散で走ったのだろうか。どうもその光景が想像しにくい。腰を振りながらゆっくり歩いて渡ったのではないかと思う。猫でさえこうなのだから、人間の生活模様はもっと激しく変わっているのではないか。1ヶ月かけて行っていた場所に数時間で行き、1ヶ月かかって作っていたものを数時間で作り、一畝の広さに植えていたものを、数町の広さの畑に植える。天蚕糸で釣り上げていたものを根こそぎ底引きでとる。数着の下着、数着の上着ですむものを、家が狭くなるほどの衣服を揃える。 何をそんなに早く沢山得ようとしているのだろう。多くを手にして何が幸せなのだろうと思う。使い切れない、消化しきれない多くのものを所有するために、身も心も破壊して、いやそれどころか、人と人とのつながりまで鋭利な刃物で切断する。  僕らはわき目もふらず、些細な目的の為に僅かな距離でも突進する猫だ。思いやる心や英知を持った人間様ではない。昔人間だった人間みたいなものなのだ。歯をむき爪を立てる猫なのだ。思いやる心をなくした猫なのだ。