原風景

 まるで作為は感じられない。恐らく幼い時から親を手伝っていたからこその行動だと思う。
 我が家の草刈機はすべてバッテリーで動くものだから、30分もフル稼働させれば、止まってしまう。雨が降るたびに背丈を伸ばしてきた草は、猪が隠れることが出来そうなくらいの高さになっている。元々荒れ地だから足場も悪く、機械ですべてを刈ることはできない。
 手持無沙汰に充電を待つのかと思っていたら、身振り手振りで鎌がないかと尋ねて来た。錆びついた鎌があるので、家に取りに帰り、それを手渡すと、さっそくしゃがみこんで草を刈り出した。錆び付いているから役に立たないのかと思っていたが、手際よく、刈り残しを刈っていた。
 ある女性は、冬の間フェンスの外側に積もった落ち葉を袋詰めしてくれた。燃えるごみの袋が10数枚満杯になった。他の女性は、石段の隙間から延びた雑草を手で抜きだした。草刈り機の刃を傷めるから、微妙な作業は避けたみたいで、根気がいる作業だ。
 ほかの女性は、二人がかりで、山際の荒れ地から3段の元畑を通って、猫車に乗せ駐車場まで何往復もした。
 結局3時間ばかりで、僕が希望したことをのすべてをかなえてくれた。本来話し好きの子たちだが、今日は黙々とやっていた。いつもはコンサートや小さな旅に、目いっぱい着飾って来るが、さすがに今日は、かの国で作業する姿そのものでやって来た。遠くから見ていると、どの子もいつもよりずいぶんと年齢が高く見えた。遠くから見ていると、かの国の高地の段々畑で働く人たちを彷彿させた。テレビで嘗て見たことがある、僕にとっての(勝手な)ベトナムの原風景そのものだった。

【前川喜平・日本メディアのロシア・中国化/テレ朝、朝日新聞に問う】○The News ●3/19 スピンオフ - YouTube