ため息

 毎日のように見上げてはため息が漏れる。今まではその緑の深さに視覚的に慰められていたが、その実うっそうと茂った大木たちの下はどうなっているのだろうと想像すると気が重くなる。
 開墾している荒れ地の向こうは、もう山だ。逆を言うと、海岸まで延びていた尾根を途中で垂直に切り、そこから先を宅地にしたようなところに僕の薬局は建っている。
 山の手前を今開墾していて、山について考えることが多くなった。まさに身近になったのだ。ある人が、木の枝を切って太陽の光が地面に届くようにしないと蛇がいなくならないと教えてくれた。今の密集した状態だと木々の間を人はすり抜けて歩かなければならないくらいだ。だから多くの木を間引かないと快適な空間にはなりえないだろう。切り倒し、枝を落とし、光が降り注ぐ空間を作れば心地よいだろうが、どれだけの労力(費用)を要するだろう。テントを張り、ハンモックで揺られる、そんな空間を作り維持するのにはどのくらいの費用が必要ななのだろう。人々が段々畑を登ってきて、そこから小さな森に入り木々の間をウォーキングする、そんな風景も作ってみたいが、僕の経済ではとてもとても及びそうにない。
 知識がない分野で勝手に夢ばかりを膨らませたせいで、毎朝まだ寮のベトナム人が起きていない時間帯に隣地に行き、うっそうとした山に向かって溜息ばかりついている。僕のため息がゴジラのように火を噴くなら、枯草に隠れる蛇たちを追っ払ってやりたい。

 

https://www.youtube.com/watch?v=Nrwh-i6mZwQ