詐欺

 一体どこからどこまでが正常で、どこからどこまでか痴呆気味かは、日々変化する。ほとんど日替わりメニューだが、今日の定食はそれなりに美味しかった。 92才まで生きれて幸せだとか、孫の誰々が優しくて幸せだとか、年齢も名前もはっきりしていた。道中の看板などもすらすらと読める。不思議なものだ。色々なことが出来なくなっているのに、字は読める。他の人のケースを知らないから母だけのことか共通のことか分からないが、人間って不思議だなと思う。地名、人名などの多くを忘れているが、日常会話の語彙はそんなに減っているとは思えない。難しい単語も使うし、まれにしか使わないような言葉も時間差攻撃にはならない。 車窓の景色についても結構鋭い観察をしていた。一番驚いたのは、嘗てはげ山になっていたところが今は逆に鬱蒼とした人の手が入っていない山に変わっていることを見つけたことだ。最初は、緑が濃いとか、木が生い茂っているとかくり返していたが、そう言われてみると、手入れされてない木々が無秩序に生い茂っていて、道路沿いなど、まるで屋根のようにせり出していた。幾度となく焼け、僕が子供の頃は雨でも降れば土砂崩れでもしそうなくらい山肌が露出していたが、半世紀近い間に回復しすぎるくらい木々に被われていた。母はその手入れされていない様子が気がかりなようだった。  僕はその母の嘆きを聞きながら、今全国で仕事のない人や、仕事につかない人達に山で頑張ってもらえば、国土の保全と共に生活の糧を確保してもらうことの二兎が追えるのではないかと考えたりした。僕が政治家だったらその様なところにお金を使う。消費税が返ってくるような輸出企業優遇を止めさえすれば簡単に捻出できる金額だ。物言わぬ、耐えることの得意なこの国の人も、今進行している出来事が犯罪まがいに近いことに気がついて、当事者を何れ許さぬ時代が来てくれたらいいなと思う。いとも簡単に公約を覆し、ほとんど詐欺をはたらいたも同然なのに。どうせ騙すなら千円2千円でなく、10兆20兆なら罪にならないらしい。