語尾

 「ごはん、食べたんかな」と「ごはん、食べたんかな」は似ているが、語尾を上げるか下げるかで意味はかなり違ってくる。岡山県人だったら分かるだろうが、前者なら子を思う母の姿だし、後者なら子も思わない母の姿だ。
 もう5年近く、母親の痴呆の為の漢方薬を取りに来る女性がいる。1週間ごと取りに来るから、5年間の変化をつぶさに教えてもらって来た。今日の情報は冒頭の「ごはん、食べたんかな」だった。一瞬僕は喜んだ。子を思う母の姿を想像したからだ。ただその時の語尾があまり聞き取れず、語尾を比較的上げた話し方のように思えた。だから仕事から帰った娘を心配して、ご飯を食べたかどうか尋ねたと思ったのだ。時に娘が誰かわからなくなるまだらボケだから、今日は調子が良い、何とか踏みとどまっていると評価できたのだ。
 僕が語り口を真似て、お嬢さんが再現してくれた言葉を反復すると、もう一度お嬢さんがやり直してくれた。今度は完全に語尾が下がっていた。と言うことは、私はご飯を食べたかな?と言う意味になる。あくまで私のことなのだ。残念だが仕方がない。
 お嬢さん曰く、仕事から帰ったら、どうもお昼に2回食事をしているような形跡があるらしい。母の経験から、5年もかけてゆっくりと痴呆を勧めている女性のお母さんは立派なものだ。ただし母は90過ぎてから一気に痴呆が始まり進んだから、これもまた立派なものか。
 今思えば我が家は「ごはん、食べたんかな」の「か」と「な」の部分をより強く発音しなかった自信はある。そうすると岡山人ならわかる詰問形だから。

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