罪悪感

 今朝、最初に作った漢方薬に日にちを記入しようと、いつものように西暦から始め、2023.3.11と書いた。その時に、「さんてん いちいち」と口ずさみ、今日の日が何かを思い起こさされた。
 正式名称より「さんてんいちいち」の方が受け入れやすいのだろう、この呼称が定着している。直近のことだからだろうが、日にちで呼ばれる災害はそんなに多くはないだろう。だから自ずと今日は日本中で、僕と同じような体験をしている人が多いと思う。
 遠くの災害で、恐らくまともに見ることもできないような悲惨な映像を見る機会がなかったから、真実には全く触れていない。だから想像力に体温もないし痛みもない。観念だけで1万分の一ほどでも理解できるのかどうかわからない。
 トルコの地震で、がれきの中から赤ちゃんが救出された。テレビ画面のこちらで思わず拍手をしたが、医師が両足を切断しなければならないかもしれないと言った後には、地獄に落とされた気持ちになった。助かったことがいいのかどうか僕にはわからない。
 地獄絵を見なかったものが、命を落とした方や、さきの赤ちゃんのような方に寄り添うなど不可能だ。むしろ、自分の存在を許してということしかできない。当事者でない幸運が、常にこのテーマでは罪悪感になってしまう。

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