孤立

 「別々に来てくれたらええのに」と言う言葉を発したことを娘さんから聞いて驚いた。普通の人が言った言葉なら別に注目しないが、認知がかなり進んだ人が発した言葉となると評価に戸惑う。
 もう5年くらい痴呆の漢方薬を飲んでもらっている女性のお嬢さんが、母親の薬を取りに来た。いつものようにどう過ごしている?などの問診をした時に、「昨日近くの医院帰りの数人がお母さんのことを心配して寄ってくれた」と教えてくれた。「お母さん、その人たちのこと分かるの?」と尋ねると「分かっているみたい。不思議じゃなあ、私が長女か次女か分かっていないのに、友達は分かるみたい」とお嬢さんも戸惑ったみたいだ。
 同じ医院にかかっているおばあさん連中が帰りに寄ってくれたみたいで、本人は喜んで結構会話が成立?していたみたいだ。そして友人たちが帰った後、冒頭の言葉が出たのだ。いたって合理的だ。普段家の中に、お嬢さんが仕事から帰ってくるまで一人籠っているから、毎日一人ずつ尋ねてきてくれたほうが退屈しなくて済むという意味だろう。
 つい先日も散歩に出かけ、家から100メートルくらいの所で帰り路が分からなくて、通りがかりの中学生に助けられたばかりなのに、いったいこの落差は何なのだ。まだらボケと言う言葉を使えないくらい最近は症状が進んでいたのに。
 血のつながった家族内の孤立を、血のつながりのない他人に埋めてもらうと、大脳の機能さえ復活するのか。現代日本の光景。

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