親切

 何気ない親切はしておいた方がいい。親切と言うかお節介と言うか。その区別は難しいが、おそらく誰でもできた行為だと思う。
 先週の日曜日の正午前、僕は朝からの草焼きを続けていた。と言っても焼却機だから枯草を詰め込んで火をつければしばらくはすることがない。腰が許せばはいつくばって草を抜き、腰に負荷を感じれば薬局に帰って事務処理をする。それを繰り返していた。
 正午前に薬局に帰ろうとドッグランの入り口に向かうと、道路の向こう側で大きな犬を連れた女性がこちらを覗いていた。散歩の途中にドッグランを見つけたのか足を止めていたから「よかったらドッグランを使ってくださいね。誰も使っていないから」と声をかけた。女性はお礼を言ってくれたが当然のこと使用料を尋ねた。僕は使われていないのだから自由に使ってくれるように言うと、恐縮しながらも喜んでさっそく大きな犬を連れて道路を渡った。
 なんでも牛窓に暮らすお姉さんの犬で、お姉さんが世話が出来ないから岡山市から世話に来ているらしい。家から出られないストレスから、あの優しさ丸出しのラブラドールなのに噛むから気を付けてと言われた。僕は十分すぎる距離を取りながら、塀のこちらと向こう側で話をした。その間大きな白いラブラドールは楽しそうに走り回っていた。これが本来の姿だろうと、ワンちゃんも喜んでくれて嬉しかった。
 普通ならここで話は終わるのだが、縁と言うものは不思議なものだと言う話に進展していく。
 先ほど娘がパンを買ってきて、ある話を教えてくれた。パン屋さんがドッグランを無料で使わせてもらったことのお礼を言ってくれたそうだ。犬を連れていた女性はなんとパン屋さんのお姉さんらしい。
 そのパン屋さん一家は、僕の青春時代を一緒に過ごした先輩と縁がある人たちで、関東から引っ越してきた方々だ。ヒッピーの先駆けと言われる伝説の人のお子さんたちなのだ。だから牛窓に来る時にはすでに僕のことを知っていると言う不思議な巡り会わせなのだが、ふと声をかけた女性もまた不思議な巡り会わせだったのだ。僕は単なる青春の脱落者で、ヒッピーの人達との精神的な共通点は全くない。外見にまったくお金をかけなかったから見かけはそっくりだったが、精神的にピュアな部分など何も持ち合わせていない。ただお金がなかっただけなのだ。僕のその生活ぶりとピュアな心の両方を持っていた僕の先輩が、丁度接着剤みたいな格好になり、伝説のヒッピーの残した家族たちと今、僕は親しくしている。
 誰でもが同じように行動するだろうことで、喜んでもらえたのだから「よかった、よかった」と単純に喜んだが、これもまた縁なのだろう。引力と言うものは引き合うべきところがあると不思議とスイッチが入る。奇遇と引力は似てはいるが別物だ。

 

統一教会・五輪汚職以外の岸田総理大臣を襲う国外の危機。核戦争とウクライナ危機。物価上昇と各国の中央銀行利上げ。コロナウィルスと食糧危機。安冨歩東大教授・一月万冊 - YouTube