写真

 いつもより少し早く起きたので、朝のウォーキングに出かけた時はまだ暗かった。6時を回ったころからやっと、薄暗くなり始めた。テニスコートを何回も回るのだから、4ターン毎に一度は東を向いて歩くことになる。その時に自然がつくる巨大な写真を見た。
 写真の下の方には、中学校の体育館と、海水の逆流を防ぐ水門のシルエット。写真の右端には10階建てのマンションの巨大な灯りの塔。体育館と水門の上に、おそらく3㎞は離れているはずの前島が、切り絵のように優しい尾根で空を仰ぐ。
 島の上には、燃えるようなオレンジ色の朝焼け。尾根から次第に高くなるに従ってオレンジが薄くなり、やがて深い青色に変わり、それも次第に薄まりながら天に届く。天には、平安美人の眉のような月が浮かんでいる。
 終生カメラを持ったことのない僕は、「ああ、こうしたときに写真家たちはシャッターを切るのか」と思った。誰が写してもきれいなものはきれいなのだろうなと、失礼な考えも浮かんできたが、空の色の微妙な変化、島や建物のシルエットなど、写真の出来栄えの多くは、自然(被写体)の力によるように思えた。
 それが証拠に、10分もたたないうちに、衝撃的な美しさは崩れ、もはや東の空もただ存在するものだけになっていた。
 僕のアルバムは、親が撮ってくれた写真から、ほとんど増えていない。しいて言うなら中学校と高校の集合写真が加わったくらいだ。もう何十年もそれを見てもいない。写すことも写されることも特段興味がなかったから、足跡はほとんどない。フィルムの上に時を止めるほど、生活に余裕はなかった。おかげで存在とともにきれいに消えれる。
 僕には東の空はない。

 

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