殺生

 漁師がふと漏らした言葉が心を打つ。職業がら殺生を生業としていても、心は同じなのだと。
 ひれがあればイルカと間違えるが、見た目は鯨をぐっと小さくしたようなのが牛窓の海に時折出現するナメソ(スナメリ)だ。僕らが幼い時はおが(陸)からでも目撃されていたが、さすがに今はそれは無理だ。頭数が減ったのだろう。ただ漁師はしばしば目撃していて、今日買い物に来た若い漁師も「かわいい」と表現するほどだ。かわいい理由は、映像で見るイルカと同じように漁船と並走して泳ぐのだそうだ。(並走して泳ぐ?日本語的に正しいのだろうか)まるで遊んでいるように見える姿がかわいいのだろう。
 数日前、彼の知り合いの漁師がカツオをとるために長い網を流していたら、その中に3頭のナメソが入っていて、どういう理由かわからないが死んでしまったらしい。その死んだナメソが牛窓の漁協の巨大な冷蔵庫に保管されていて、それを見た彼が「かわいそうだった」と漏らしたのだ。小さいのも混じっていたから家族だったのかなと言っていた。
 海で泳いでいても哺乳類だ。意志を持つ動物を殺生するのはやはり心苦しいのだろう。畜産や養鶏に携わっている方々もきっと根底には同じ情が流れていて、職業的な割り切りが支えているのだろう。僕らはその段階(殺生)を見ずに感じることなく口にできるから罪悪感はないが、それでも自身が死を意識し始める年齢になると、想いを重ねて哀れに思うこともある。命を「頂きます」の習慣が重みを増す。

 

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