掃除

 お墓に着いてすぐに掃除にかかったのだが、一人のベトナム人女性が何か言っている。今日は通訳がいたから意思疎通はおおむねできた。彼女がけげんな表情だったのは、ベトナムでは、お墓の掃除をする時には、お墓に向かって、今日は掃除をしてもいいですかとお伺いを立てるのに僕がしなかったことによるらしい。彼女の不安を消すために僕はお墓に向かって、掃除をしに来ましたよと報告した。彼女も納得して嬉しそうな表情に変わった。
 3人が手を挙げてくれたから今日のお墓掃除となった。何分背中が痛いままだから、コルセットで締め付けて急な坂道を上がってきた。熊手や竹を切るはさみなどすべて彼女たちが持ってくれる。僕は、案内するだけで、手際よい彼女たちを感心しながら見ていただけだ。
 一人の女性が作業しながら、当然と言えば当然の質問をした。「お父さん、1年に何回お墓に来ますか?」さもありなん、落ち葉のじゅうたん、垂れ下がった笹のカーテン。すなわち荒れ放題。僕もお墓が見えた時には思わず笑ってしまうくらいのみすぼらしさだった。小さな山の中腹。車も通れない狭くて急な道。そこからさらに石段でお墓にたどり着くのだが、夏は蛇が出そうだから、(一度遭遇したことがある)近寄らないようにしていて、お墓参りは、冬から春の間に決めている。だから年に1回か2回。完全に見透かされている。
 ただし優しい彼女たちはそれで僕を責めたりしない。帰国した多くのベトナム人が、僕の母を大切にしてくれたことは語り伝えられているから、お墓の母にまで彼女たちは優しい。今のところ、国で選抜され送り込まれている善良なベトナム人とだけ接することができている僕は、こうした血縁にも勝る絆を感じる機会がある。
 風も遠慮する初冬の良き日、坂を下る僕たちに頭上で烏がお疲れさまと鳴く。