助走

 コロナのせいで、牛窓から出ていってはいけないとまるで子供に課すようなルールを押し付けられ、うつうつと寮で過ごしている子たちに、せめて合法的なリラックス状態を作ってあげようと、お墓掃除を提案していた。いつものように快諾してくれていたのだが、朝から小さいが冷たい雨が降り始めた。散々迷った挙句、中止のメールをしたのだが、送られてきたのは、お墓掃除に行くという返事。日本人とベトナム人の雨に対する感覚の違いがあるのかもしれないが、日本の雨は雨とは言えないと嘗て言われたことがあるので、申し訳ないが言葉に甘えることにした。
 墓山のふもとに車を置くと、トランクから道具を出しすぐに山に向かって歩き出した。車が上がれない細い道だが、何度も手伝ってもらっているから勝手知ったるなんとやらで、ぐいぐい上っていく。祖父母と両親が眠る墓につくと、正月に切り倒してそのまま放置していた笹を、短く切って束ねて持って帰るように依頼した。
 まるで故郷の畑で働いているがごとく、器用に休むことなく作業を進めてくれる。僕は申し訳ないので、中腰やしゃがみこんで作業する子たちが雨に濡れないように2つの傘をさす。この作業だけで腕はだるくなり、腰は冷えた血液に傷められる。それに引き換え彼女たちはとても元気で、途中から汗をかき始めた。気温5度、冷たい雨、どれだけ彼女たちが元気かよくわかる。30分もしたところで気の毒に思って帰ろうと誘ったのだが、結局1時間続けてくれた。
 僕はこのような経験を20年近く積むことが出来た。多くの真心を見せてもらい、多くの感動を得た。20年前にふと日本語が堪能なベトナム人が薬局に来たことで始まった交流だが、本当に多くの経験や気付きを与えてもらえた。田舎の薬剤師として懸命に働いてきたが、その緊張を解いてくれたのは彼女達だった。言葉が通じないからこその真心の応酬は、どんな形あるものより崇高だった。
 この春ですべての交流が終わるが、比較的健康的に過ごせた日々に感謝して、これからは何かの形で地元の人に恩返しをしたい。いわばともに生きる人の交代だ。できれば、これからは僕と同世代、或いは上の世代の方のために活動したい。十分な助走距離を彼女たちに取らせてもらったのだから出来ないはずがない。

 

https://www.youtube.com/watch?v=cf8Cnru9F0k