寛容

 古民家を取り壊すにあたって、その土地の裏側に広がっていた耕作放置地を譲ってもらった。そこを整地して、ドッグパークにするにあたって、隣地の方々の承諾を得なければならないことが多々あった。すべて快く応じていただいて、ことは進んでいるのだが、今日もまた、ある承諾を得なければならないことがあって、娘があるお家を尋ねた。
 そこのお家は、県道から10メートルくらい細い私道を入るのだが、その私道部分が新たに作るカフェの陰になり、一部見通しが悪くなる。建物部分は全然邪魔をしないが、私道の数メートル部分の北側の視界を遮ってしまう。カフェが私道沿いに建ってしまうので申し訳ないと謝ると「自分の土地だから、好きにすりゃあええが!」と即答してくれた。ここまで気持ちよく承諾されると、何かしらお返しがしたくなり、最初の設計より1m遠ざけて建てることにした。
 そして今日のお願いは、これはドッグパークのものではないが、部落の放送塔の中継のための古い電柱が放棄地の中に立っていて、それを撤去してもらうことになった。もちろんただ撤去だと放送が出来なくなるので、迂回させるべく新たに電柱を建てそこを中継することになったのだが、またまた電線がその方の窓のすぐ前を通ることになった。そこで今日娘と電気屋さんが説明と許可をもらいに行ったのだが、そこでの返事が「好きなようにせられえ」
 報告を聞いて、〇〇さんらしいなと思わず笑ってしまったが、その大らかさこそ、何十年も10戸単位の共同体として過ごしてきた財産だ。このようなシステムは、呼び名こそ違うだろうが日本中に張り巡らされた最小単位の共同体ではないだろうか。大都会にもそのようなものがあるのかどうかわからないが、牛窓は10数年前まで葬式を取り仕切っていた共同体だから、結びつきは強い。
 10戸長は2年ごとに次に引き継がれるが、そうした理由で僕も若くして葬式を2度取り仕切ったことがある。人生の一大イベントの世話になるのだから、絆は強まり、勝手なことも言えなくなるし、出来なくなる。そうした良い意味での遺産が、今度のことを押し勧めてくれたのだと思う。
 もうずいぶん前に「隣地は借金してでも買え」と教えてくれた人がいるが、こうした隣人ならそんな無駄な出費をする必要はない。ただし、孤立して生きることが普通の時代になってきたら、権利権利が大手を振って歩きだした。どちらかと言うと「寛容」に重きを置いて生きることが出来たこの町に、そしてこの町の人に感謝だ。暮らすに当たってのストレスなどほとんどなかったのだから。

 

維新はアホで無知。橋下徹はヒトラー問題で自己矛盾。大石議員には自爆訴訟を行う。松井一郎・吉村知事は嘘をまき散らす。でも人気・・・これは何故だ?反知性主義の象徴・維新。安冨歩東大教授。一月万冊 - YouTube